日本歴史地名大系 「西竹屋町」の解説
西竹屋町
にしたけやちよう
中京区竹屋町通堀川東入
東西に通る
平安京の条坊では、町の北側が左京二条二坊四保一〇町の南、南側が左京二条二坊三保一一町北の地。平安中期以降は大炊御門堀川小路の東。平安時代、町の北側は高陽院の地にあたる(拾芥抄)。「玉葉」嘉応二年(一一七〇)一〇月二一日条に「摂政参給之間、於大炊御門堀河辺武勇者数多出来、前駆等悉引落自馬了云云、神心不覚、是非不弁、此間其説甚多、摂政殿不被参、今日議定延引之由」、また翌二二日条に「昨日之事、巷説種々、但前駆五人之中、於四人者、被切本鳥了、又随身一人、同前駆五六許、于今在大路見者所談也」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報