日本歴史地名大系 「西股村」の解説 西股村にしまたむら 京都府:綾部市西股村[現在地名]綾部市上八田(かみやた)町・七百石(しちひやくこく)町・中筋(なかすじ)町八田川の上流域、高城(たかしろ)山の西方一帯の地域。古代の八田郷(和名抄)に属するが、八田郷が細分化されるなかで、中央の山塊(高城山)の東側を東股(東谷)とよび、西側を西股(西谷)とよんだものであろう。江戸時代の村域は明確にしがたい。地名の初見は建武三年(一三三六)の沙弥顕性寄進状(安国寺文書)で、次のようにある。<資料は省略されています>慶長六年(一六〇一)の御知行方目録(山家藩庁文書)では高一九三〇・五三石「西股村」とある。 西股村にしまたむら 静岡県:周智郡森町西股村[現在地名]森町西俣(にしまた)葛布(かつぷ)村の北東にあり、ほぼ中央を太田(おおた)川支流三倉(みくら)川が南へ流れる。南は問詰(といづめ)村黒石(くろいし)。周知(すち)郡に属する。弘安四年(一二八一)一二月二八日の将軍家政所下文案(竹内文平氏旧蔵文書)に飯田(いいだ)庄上郷のうちとして「西俣」がみえ、同所地頭職などが山内首藤通茂に安堵されている。江戸時代初期から掛川藩領で、寛永二一年(一六四四)の掛川領三万石郷村高帳では高二六石余。正保郷帳でも同高で、田方一七石余・畑方九石余・日損・水損、松雑木、新田ありと注記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報