西藤平蔵村(読み)にしとうへいぞうむら

日本歴史地名大系 「西藤平蔵村」の解説

西藤平蔵村
にしとうへいぞうむら

[現在地名]高岡市西藤平蔵・下島町しもじままち

千保せんぼ川と祖父そふ川に挟まれ、佐野さの村の南方に位置。往古、藤原氏の流れをくむといわれる藤の平蔵が開墾した地で、庄川・千保川の流路の変更により西藤平蔵と東藤平蔵に分れたといわれる。正保郷帳の高一千二六〇石余、田方八一町九反余・畑方二町余、新田高一三〇石余。明暦二年(一六五六)の草高一千七〇石・免四ツ一歩(村御印留)。川崩れにより明暦二年六七石、万治二年(一六五九)七四石余、寛文元年(一六六一)一〇三石、同三年一〇〇石、同四年六七石余が検地引高となり、同二年から九年にかけて一七四石余の畑直しが行われた(「高免等書上帳」折橋家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む