日本大百科全書(ニッポニカ) 「西部大開発」の意味・わかりやすい解説
西部大開発
せいぶだいかいはつ
経済発展が遅れている中国西部内陸部を重点的に開発し、先行する中国東部沿海部との経済・社会格差の縮小を目ざす中国政府の国家戦略。アメリカの西部開拓(ゴールド・ラッシュ)になぞらえ、1999年に江沢民(こうたくみん/チアンツォーミン)国家主席(当時)が西部大開発の呼称を正式に使った。2000年の全国人民代表大会(全人代)で計画を採用し、2001年から始まった第十次五か年計画以降、中国の国内近代化政策の柱となっている。
対象は重慶(じゅうけい/チョンチン)市、四川(しせん/スーチョワン)省、雲南(うんなん/ユンナン)省、新疆(しんきょう/シンチヤン)ウイグル自治区など12の直轄市・省・自治区にわたり、中国全土の約5分の4を占める。しかし、この地域の国内総生産(GDP)は全土の5分の1弱、1人当りの所得水準は沿海部の10分の1以下にすぎない。雇用・生活・教育面での格差は広がる一方で、大開発は経済発展を沿海部から内陸部へ及ぼす内需振興と同時に、内陸部の余剰雇用の吸収、少数民族地域の安定など社会不安を解消するねらいがある。
開発の柱は道路、鉄道、空港、通信、水利、都市開発などのインフラ整備。内陸部の天然ガスを沿海部へ送るガスパイプラインの建設や三峡ダム(2009年完成)を含む発電・送電計画のほか、観光資源の活用など多岐にわたる。北京(ペキン)近郊まで迫る砂漠化などに対応し、植林や農業振興などで環境対策を進めるねらいもある。
中国政府は2001年から5年間で4兆円を超す重点投資を実施したが、西部大開発には外資の導入が欠かせず、日本企業などのビジネスチャンスが広がると指摘されている。ただ中国政府は過去すでに二度にわたって西部開発を実施している。旧ソ連の援助を受けて1950年代に内陸部の工業化に取り組み、1960年代には米ソからの侵略に備え多くの工業基地を内陸部に移したが、いずれも経済的波及効果は限定的であった。
[編集部]