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江沢民 こうたくみんJiang Ze-min

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

江沢民
こうたくみん
Jiang Ze-min

[生]1926.8.17. 江蘇,揚州
中国の政治家。 1943年より中国共産党指導下の学生運動に参加,1946年4月入党。 1947年上海交通大学電機系を卒業。 1949年新中国の成立後から各種工場長,研究所長などを歴任。 1980年8月国務院輸出入管理委員会副主任,国家外国投資管理委員会副主任兼秘書長。 1982年9月中国共産党第 12回全国代表大会 (党大会) で中央委員に初当選。 1985年6月上海市長兼同市の党委員会副書記に転任。 1987年 11月党中央委員会政治委員に選出,同年末より上海市党委員会書記に昇格した。 1989年6月 24日の中国共産党第 13期中央委員会第4回全体会議 (4中全会) で学生運動の責任を問われた趙紫陽に代わり,政治局常務委員総書記 (ともに 2002退任) に選出された。以後中共第3世代の指導グループの核心といわれる。同年 11月の 13期5中全会で鄧小平後任として党中央軍事委員会主席に就任。 1993~2003年国家主席

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知恵蔵の解説

江沢民

中国の政治家。1926年、中国江蘇省揚州生まれ。中国共産党中央委員会総書記、中華人民共和国主席などを歴任した。鄧小平(トン・シァオピン)の時代に党内での地位を固め、上海で市長や党幹部として力を振るった。89年に総書記に就任し、翌90年に国家中央軍事委員会主席を兼任、更に93年には国家主席も兼任、2002年まで全権を掌握した。
江沢民は、毛沢東(マオ・ツォートン)らの中国革命第1世代、鄧小平の第2世代に継ぐ中国共産党第3世代の指導者である。この世代では江沢民が上海時代の配下を中央に呼び寄せて重用し「上海幇(閥)」を形成。胡錦濤(フー・チンタオ)ら第4世代の中核となった中国共産主義青年団派と覇を競った。13年現在の指導部は俗に言う「太子党」の習近平(シー・チンピン)らによる第5世代に当たる。江沢民は05年までには公式な地位を胡錦濤に譲り渡し、権力中枢は胡錦濤の更に次の世代に移行している。しかし、江沢民は健康不安を伝えられながらも、いまだに隠然たる影響力を保っているといわれる。
日本との関係では、1998年に中国の国家元首として初来日、平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言に合意した。日中戦争などの歴史認識については、しばしば日本の姿勢を手厳しく指弾している。対米関係では2001年の米国同時多発テロに際し、いち早く米国支持を表明。当時の共和党ブッシュ(息子)政権と接近し、米国政府を台湾に対する親密姿勢から大きく転換させた。
06年には、スペインの亡命チベット人団体らが、1980年代から90年代にかけて中国政府により、チベット族に対する虐殺などがあったとして刑事告発を行った。13年にはスペインの全国管区裁判所が江沢民や李鵬元首相ほかに逮捕状を出した。中国政府はこれに激しく反発している。

(金谷俊秀  ライター / 2013年)

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デジタル大辞泉の解説

こう‐たくみん【江沢民】

[1926~ ]中国の政治家。江蘇省出身。1946年中国共産党に入党。1986年上海市長として同市の開放政策を推進。1989年の天安門事件後、鄧小平抜擢によって党総書記、中央軍事委員会主席に就任。1993年国家主席となる。2002年に党総書記、2003年に国家主席、2005年に国家中央軍事委員会主席を退任。後任は胡錦濤チアン=ツォーミン。

チアン‐ツォーミン【江沢民】

こうたくみん(江沢民)

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百科事典マイペディアの解説

江沢民【こうたくみん】

中華人民共和国の政治家。江蘇省出身。1947年上海交通大学電気系卒。1946年4月中国共産党入党。1955年モスクワ・スターリン自動車工場へ留学。1956年帰国後,機械工業部門のテクノクラートとして活躍。
→関連項目温家宝上海交通大学中華人民共和国中ソ論争薄熙來

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

江沢民
こうたくみん / チアンツォーミン
(1926― )

中国の政治家。江蘇(こうそ/チヤンスー)省生まれ。1946年、上海(シャンハイ)交通大学在学中に中国共産党入党。卒業後は長く技術畑で活躍し、電子工業相などを務めた後、1986年からは上海市長として同市の開放政策を推進した。1989年6月の天安門事件当時は上海市の党委員会書記の地位にあり、事件後、小平(とうしょうへい/トンシヤオピン)によって失脚させられた趙紫陽(ちょうしよう/チャオズーヤン)にかわって党総書記に抜擢(ばってき)され、同年11月には中央軍事委員会主席も兼任、1993年3月の第8期全国人民代表大会第1回会議では国家主席にも就任し、党、軍、国家の最高ポストを独占することとなった。小平存命中は、その後ろ盾のもとに党や軍における勢力基盤を着々と固め、1997年2月小平が死去した後もその路線を継承して市場経済化を推進した。また政治面では2000年に「中国共産党は先進的生産力、先進的文化、広範な国民の根本的な利益を代表しなければならない」という「三つの代表論」を唱え、私営企業の経営者を党に取り込む方針を打ち出した。2002年11月党総書記の座から退き、次いで2003年3月国家主席の地位からも退いた。唯一、中央軍事委員会主席の座にはとどまっていたが、2004年9月に党中央軍事委員会主席を辞任、2005年3月に国家中央軍事委員会主席を辞任、完全引退した。[渡邊幸秀]
『楊中美著、森幹夫訳『江沢民――中国第三世代の指導者』(1996・蒼蒼社) ▽翁傑明他編、莫邦富他訳『江沢民と本音で語る』(1997・日本経済新聞社) ▽朱建栄著『江沢民時代の「大中国」』(1997・朝日新聞社) ▽平松茂雄著『江沢民と中国軍』(1999・勁草書房) ▽渡辺利夫・小島朋之他著『毛沢東、小平そして江沢民』(1999・東洋経済新報社) ▽小島朋之著『富強大国の中国――江沢民から胡錦濤へ』(2003・芦書房) ▽平松茂雄著『江沢民時代の軍事改革』(2004・勁草書房)』

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