西銘 順治
ニシメ ジュンジ
- 肩書
- 元・衆院議員(自民党),元・沖縄県知事
- 生年月日
- 大正10年11月5日
- 出生地
- 沖縄県島尻郡知念村久高
- 学歴
- 東京帝国大学法学部政治学科〔昭和23年〕卒
- 経歴
- 外務省に入ったが半年で退官。のち沖縄に帰郷し、沖縄ヘラルド新聞の創設に参加した。沖縄社会大衆党に入党、昭和29年琉球立法院議員に当選、その後、琉球政府に入り、33年経済局長、36年計画局長。37年から那覇市長2期、43年沖縄自由民主党総裁となり、同年琉球政府行政主席公選選挙に出馬したが、復帰運動の指導者・屋良朝苗に敗れた。45年戦後初の沖縄国政参加選挙で衆院議員に当選、3期を歴任。53年沖縄県知事選で革新候補者を破り、戦後初の保守系知事に当選し、3期つとめた。平成5年衆院議員に復帰。通算4期。旧渡辺派。7年脳そく栓のため任期途中で倒れ、8年引退。著書に「沖縄と私」など。
- 受賞
- 勲二等旭日重光章〔平成8年〕
- 趣味
- ゴルフ
- 没年月日
- 平成13年11月10日
- 家族
- 長男=西銘 順志郎(参院議員) 三男=西銘 恒三郎(沖縄県議)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
西銘 順治
ニシメ ジュンジ
昭和・平成期の政治家 元・衆院議員(自民党);元・沖縄県知事。
- 生年
- 大正10(1921)年11月5日
- 没年
- 平成13(2001)年11月10日
- 出生地
- 沖縄県島尻郡知念村久高
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学法学部政治学科〔昭和23年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 勲二等旭日重光章〔平成8年〕
- 経歴
- 外務省に入ったが半年で退官。のち沖縄に帰郷し、沖縄ヘラルド新聞の創設に参加した。沖縄社会大衆党に入党、昭和29年琉球立法院議員に当選、その後、琉球政府に入り、33年経済局長、36年計画局長。37年から那覇市長2期、43年沖縄自由民主党総裁となり、同年琉球政府行政主席公選選挙に出馬したが、復帰運動の指導者・屋良朝苗に敗れた。45年戦後初の沖縄国政参加選挙で衆院議員に当選、3期を歴任。53年沖縄県知事選で革新候補者を破り、戦後初の保守系知事に当選し、3期つとめた。平成5年衆院議員に復帰。通算4期。旧渡辺派。7年脳そく栓のため任期途中で倒れ、8年引退した。著書に「沖縄と私」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
西銘順治 にしめ-じゅんじ
1921-2001 昭和後期-平成時代の政治家。
大正10年11月5日生まれ。沖縄群島政府の工務部副部長などをへて,昭和29年立法院議員。34年沖縄自民党結成にくわわり,37年那覇市長。45年衆議院議員。53年沖縄県知事に転じ,3選される。平成5年衆議院議員に復帰(通算当選4回)。8年引退。平成13年11月10日死去。80歳。沖縄県出身。東大卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
西銘 順治 (にしめ じゅんじ)
生年月日:1921年11月5日
昭和時代;平成時代の政治家。衆議院議員(自民党);沖縄県知事
2001年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報