見付学校跡(読み)みつけがつこうあと

日本歴史地名大系 「見付学校跡」の解説

見付学校跡
みつけがつこうあと

[現在地名]磐田市見付

淡海国玉おうみくにたま神社の南にある。明治六年(一八七三)に置かれた第二大学区第一二番中学区第一番小学見付学校。同年五月から開校準備および校舎新築の計画が立てられ、八月、宣光せんこう寺・省光しようこう寺を仮校堂に当て開校した。これより先、中等教授志賀・同菅沼、助教授古田、一等授業生山内ら一一人が教員として招聘された(磐田市誌)。新校舎は淡海国玉神社祠官大久保忠利の寄付により磐田文庫の隣接地に建設され、同七年一〇月に着工、翌八年一月一一日、林厚徳浜松県令らが臨席して棟上式が行われた(「日鑑」西光寺文書など)

新校舎は基礎石垣の上に洋風木造二階建、間口一二間・奥行五間、屋上に二層の楼を重ねた一棟であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android