見代村(読み)けんだいむら

日本歴史地名大系 「見代村」の解説

見代村
けんだいむら

[現在地名]作手村保永やすなが

和田わだ村の北、ともえ川に沿う。近世初頭の石高は一〇七石余であって、小村の多い当地方では大村の部に入る。慶長七年(一六〇二)より作手藩領、同一五年より幕府領、天和元年(一六八一)より鳥羽藩領、享保一一年(一七二六)より幕府領、天明二年(一七八二)より巨勢氏領、文久元年(一八六一)より幕府領と、複雑な支配の変化がある。

集落は以前は東方の字打木うつきにあったと伝え、「三河国二葉松」にも「見代村古屋敷 同宇津木ト云所、筒井善右衛門、原田喜右衛門」とある。いずれも奥平氏の臣といわれ、和田出雲守の命で砦を構えたという。天正元年(一五七三)の奥平・武田両氏の合戦により焼失し、現在の地に移ったと伝える(作手村誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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