コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

原田喜右衛門 はらだ きえもん

4件 の用語解説(原田喜右衛門の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

原田喜右衛門 はらだ-きえもん

?-? 織豊時代の貿易商。
呂宋(ルソン)(フィリピン)や台湾と貿易をおこなう。豊臣秀吉に呂宋征服をすすめ,秀吉の使者として天正(てんしょう)20年(1592)手代の原田孫七郎マニラに派遣。翌年2度目の使者としてみずから呂宋にわたった。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

原田喜右衛門

生年:生没年不詳
近世初頭の貿易家。洗礼名をパウロと名乗るキリシタンであったが,のち背教している。かねてからフィリピン貿易に従事。天正19(1591)年豊臣秀吉がフィリピン諸島に入貢を促し,その答礼使としてドミニコ会派のフアン・コボが翌年来日。喜右衛門は帰国するコボと共に,第2回の遣使としてフィリピンに渡った。だがコボが帰途台湾沖で遭難したため,フィリピン側は第2回目の答礼使として,フランシスコ会ペドロ・バプチスタらを派遣。このようにフィリピン側ではたびたびの往復で秀吉の出兵を遷延させる策に出ていた。この状況下,喜右衛門はフィリピンは防備が薄いので,秀吉の征服は容易であると進言した。しかし文禄1(1592)年秀吉が朝鮮出兵を開始したため,フィリピン問題には力が入らなかった。さらに台湾の占領も秀吉に進言し,フィリピン諸島との中間地点の重要性を説得,自ら台湾征服を願い出ているが,これも秀吉に余裕がなかった。当時喜右衛門は全財産を失い,その能力もなくついにフィリピン貿易を中止した。スペイン人商人のアビラ・ヒロンによれば,喜右衛門は裕福な商人であったが,浪費好きで,身分不相応に見栄を張り,破産していたと伝えられる。人柄は極めて聡明で,抜け目のない,腹黒い,目はしのきく男であると評している。<参考文献>アビラ・ヒロン『日本王国記』(岩生成一他訳),村上直次郎編『異国往復書翰集』,中田易直『近世対外関係史の研究』

(中田易直)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

はらだきえもん【原田喜右衛門】

天正(1573‐92)末より文禄年間(1592‐96),慶長(1596‐1615)初頭にかけてのフィリピン島(呂宋(ルソン))と貿易を行った豪商。生没年不詳。原田孫七郎は喜右衛門の一族であろう。喜右衛門は毎年のように呂宋や台湾に渡航して貿易を行い,秀吉の大使役も務めていた。彼は台湾を中継地にすべきだと考えて秀吉に台湾征服をすすめ,みずからも一時台湾遠征を考えるが,財政難で果たせなかった。貿易,外交以外にあまり知ることができない人物であるが,一時,のちの村山等安末次平蔵程度の財力をもつ有力な豪商であったことは事実であろう。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

原田喜右衛門
はらだきえもん
(?―1598ころ)

安土(あづち)桃山時代の貿易商人。1591年(天正19)豊臣(とよとみ)秀吉のフィリピン(呂宋(ルソン))駐在スペイン総督に対する降伏要求外交に関して、黒幕的存在として暗躍したことで知られる。出自は不明であるが、スペイン側史料によれば、都(畿内(きない))出身者らしく、戦国時代末期の風潮に乗じて海外に進出し、主としてフィリピン海域において原住民や中国人らとの間で貿易した。1587年マニラ周辺の土豪たちが、松浦(まつら)氏一族の武士の支援を受けて蜂起(ほうき)した対スペイン植民地支配反対闘争にも関与して、当局の取調べを受けたらしい。これが機縁となって秀吉の寵臣(ちょうしん)長谷川宗仁(そうにん)を介し秀吉にフィリピン征服計画を進言し、これが契機でいわゆるフィリピン招撫(しょうぶ)事件が起こった。喜右衛門の一族の孫七郎(手代、また甥(おい)ともいう)は使節として秀吉の書を携えフィリピンに赴いたが、その後幾度かの折衝もまとまらず、かえってフランシスコ会の日本伝道の道を開くことになり、ひいてはいわゆる二十六聖人殉教の一因となった。喜右衛門はこの間、秀吉の高山国(台湾)征服計画にも参与し、一方肥後の加藤清正や薩摩(さつま)の島津氏に近づきフィリピン貿易の斡旋(あっせん)を行うなど当時の西南大名の外国貿易に積極的に介入した政商的人物であった。秀吉とほぼ時を同じくして死んだという。[箭内健次]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

原田喜右衛門の関連キーワード近古史談洗礼名奉教人ウロトロピン名乗るパウロ結晶質パウロ粒度西類子パウロ三木和田理左衛門

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone