見性寺跡
けんしようじあと
[現在地名]高松市錦町二丁目
弘憲寺東隣にあった曹洞宗の寺院。海
禅林直指山と号し、本尊釈迦如来。周防国泰雲寺(現山口市)覚隠の弟子一藺が嘉吉元年(一四四一)大内郡東山(現大川郡白鳥町)に創建した宝光寺に始まり、寛正二年(一四六一)守護細川勝元によって宇多津(現綾歌郡宇多津町)に移され南隆寺と称し(御領分中寺々由来)、さらに文正元年(一四六六)丸亀中府村に移り東福寺といっていたのを、天正一六年(一五八八)高松城築城の際、生駒親正が浜ノ丁に移し見性寺と改めた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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