備讃瀬戸の中央、
紀州高野山の道範の「南海流浪記」仁治四年(一二四三)二月一四日条に、国府(現坂出市)から二里離れた守護所より鵜足津の橘高能という御家人に預けられ、翌日在家から五、六町ほど上った寺に移されたとあり、当津に守護所が置かれていた。当津は大束川水系および
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
香川県中央部,瀬戸内海に面する綾歌郡の町。人口1万8434(2005)。宇多津の名は旧郡名である鵜足(うたり)郡の船着場〈鵜足の津〉に由来する。室町時代に管領細川頼之の居館が置かれ,讃岐の政治の中心地となり,港の整備も進み,数多くの寺院も建立された。江戸時代は金毘羅参詣者の上陸地の一つで,高松藩の藩倉が置かれ,経済の中心地ともなった。明治以降塩田の町として栄えたが,1971年塩田は廃され,広大な跡地には都市施設などが建設され,四国の玄関口としての発展が期待されている。宇多津駅で予讃線から瀬戸大橋線が分岐する。番の州工業地域の一部をなし,化学工場などの大企業が立地する。農業は果樹,蔬菜,施設園芸などの都市近郊農業が主である。四国八十八ヵ所78番札所郷照寺がある。
執筆者:赤池 享一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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