見明戸村(読み)みあけどむら

日本歴史地名大系 「見明戸村」の解説

見明戸村
みあけどむら

[現在地名]湯原町見明戸

旭川の支流鉄山かねやま川の中流に位置し、東は石内いしうち村・大月おおつき村。中国山地の標高六〇〇―七〇〇メートルの中位浸食平坦面にあたり、砂鉄採取の鉄穴流しによる人工的浸食で、低平でなだらかな地形となったところに、常路井じようろい(常隆院)・見明戸・横曾根よこぞね原尻はらじりなどの集落がある。鉄穴流しでできた流し込み田・掘田が多い。「蔭涼軒日録」寛正六年(一四六五)四月一七日条および文正元年(一四六六)閏二月二五日条によると、見明渡村は当時富美とみ(現苫田郡富村)とともに京都相国しようこく寺領で、山名金吾被官の井伊将監らの違乱が行われており、将監には追捕が命じられている。

正保郷帳によれば田高三七五石余・畑高九七石余、元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳によれば改出高一四五石余・開高四二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む