日本歴史地名大系 「見能方村」の解説 見能方村みのかたむら 徳島県:阿南市見能方村[現在地名]阿南市見能林町(みのばやしちよう)才見(さいみ)村の南に位置する。水潟とも記され、支落として三谷(みたに)がある(阿波志)。寛永七年(一六三〇)長谷川伊豆守は当村および内原(うちわら)・答島(こたじま)三ヵ村の新田が開発され次第、下渡されることを仰せ付けられている(阿淡年表秘録)。正保国絵図に村名がみえ、高三八一石余、那東(なとう)郡に属する。寛文四年(一六六四)の郷村高辻帳では田方三二二石余・畠方五八石余、芝山があり、旱損と注記される。天明六年(一七八六)の村々浦里男女人改帳(守野家文書)では男一四一・女一七一・僧三・山伏三。文化一〇年(一八一三)の高都帳では高五六四石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by