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規伯玄方 きはく げんぽう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

規伯玄方 きはく-げんぽう

1588-1661 江戸時代前期の僧。
天正(てんしょう)16年生まれ。筑前(ちくぜん)(福岡県)の人。景轍玄蘇(けいてつ-げんそ)の法をつぎ,元和(げんな)5年対馬(つしま)(長崎県)の臨済宗(りんざいしゅう)以酊庵(いていあん)2世。7年および寛永6年幕命により朝鮮への使者をつとめる。11年国書改竄(かいざん)事件で罪にとわれ,24年間盛岡藩に流される。明暦4年ゆるされ,南禅寺語心院住持,建長寺公帖などを歴任した。寛文元年10月23日死去。74歳。号は劫外,自雲。編著に「仙巣稿」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

規伯玄方

没年:寛文1(1661)
生年:天正16(1588)
安土桃山から江戸時代前期にかけての対馬以酊庵の朝鮮外交僧。号は自雲。博多宗像郡出身。同郷の師,景轍玄蘇に従って仏門に入り,24歳で以酊庵2代目庵主となる。後金国(のちの清国)の朝鮮半島侵入の折には,江戸幕府の命により情勢把握のため朝鮮国都漢城への上京を為し遂げ(1629),外交手腕を高く評価される。宗義成と柳川調興の確執から発覚した寛永12(1635)年の国書改竄事件では,終始宗家側を援護する立場をとるが,外交僧の責任を問われて24年間南部へ流罪。当地で亡師の詩文集『仙巣稿』を刊行。また清酒の醸造法を初めて伝えるなど文化面に寄与した。<参考文献>田代和生『書き替えられた国書』

(田代和生)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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