覚寺村(読み)かくじむら

日本歴史地名大系 「覚寺村」の解説

覚寺村
かくじむら

[現在地名]鳥取市覚寺・浜坂東(はまさかひがし)一丁目・北園(きたぞの)二丁目

浜坂村の南東、摩尼(まに)川沿いの谷の入口に位置する。谷の奥に標高三五七メートルの摩尼山がある。古くは角寺村と記されたが、元禄国絵図・元禄郷帳作成時に覚寺と改められた(元禄一四年「変地其外相改目録」県立博物館蔵)。拝領高は五五四石余、本免五ツ八分。安政五年(一八五八)の生高六四二石余、物成三五〇石余。ほかに摩尼寺領二六石余。山役米四石三斗が課されていた(「邑美郡下札帳」太田垣家文書)。「因幡志」によれば家数四五。安政五年の村々生高竈数取調帳では竈数五〇。元治元年(一八六四)の年貢取立帳(宮脇家文書)によれば、名請人数五五で各人ごとに本米・懸物・山役米・六毛米などが細かく書上げられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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