朝日日本歴史人物事典 「覚海円成」の解説
覚海円成
鎌倉末期・南北朝期の臨済宗の外護者で,のち同宗の尼。山内禅尼とも呼ばれた。安達氏の出身で父は泰宗か。執権北条貞時の妻で高時の母。在俗時から権勢家として知られる一方で,早くから仏教に傾倒。山城(京都府)東山法観寺の仏舎利塔造立に際しては,後宇多天皇や夫貞時と共に結縁助成しており,元応1(1319)年には土佐(高知県)に遁れていた夢窓疎石を鎌倉に呼び寄せて,そのもとに参禅した。このほか,貞時十三年忌供養に建長寺に華厳塔を建立したり,正慶1/元弘2(1332)年鎌倉東慶寺に梵鐘を寄進した事実がある。鎌倉幕府の滅亡後は,残された北条氏一族の子女たちの支柱となり,彼女らの亡き夫や子の霊を慰めるとともに,身寄りのない女児や困窮した未亡人たちを収容,救済するために,北条氏ゆかりの地である伊豆国田方郡北条(静岡県韮山町)の地に円成寺(同県伊豆長岡町の北条寺がその後身)を建立して入寺した。<参考文献>『北条寺文書』『夢窓国師年譜』『鎌倉市史社寺編』,三浦吉春「北条貞時後室覚海円成尼について」(『地方史静岡』5号)
(牛山佳幸)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報