覚証院跡(読み)かくしよういんあと

日本歴史地名大系 「覚証院跡」の解説

覚証院跡
かくしよういんあと

[現在地名]高野町高野山

蓮花れんげ院の地の東側にあった学侶方上通の一院であるが、現存しない。本尊大日如来。開基は下野阿闍梨と号した覚印自証房。下野守平季房の子で、保寿院流の祖平等房永厳の弟。保延四年(一一三八)京都仁和寺保寿院で兄永厳から伝法灌頂を受け、のち高野に登って当院を草創した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む