日本歴史地名大系 「観音寺庄」の解説 観音寺庄かんのんじのしよう 徳島県:徳島市旧名東郡地区観音寺村観音寺庄現在の鮎喰(あくい)川下流域の国府町観音寺(こくふちようかんのんじ)付近一帯に比定される。年月日不詳であるが、本文中に正応(一二八八―九三)の年号がみられることから鎌倉後期のものと推定される阿波国観音寺訴状案(早稲田大学蔵興福寺領阿波国庄園文書)に「円楽寺領六ケ所内、(中略)阿波国観音寺・東拝師両庄者、依悪党人偽謀、被収公之間、彼論人曾無其実、則 前御代以本所号、被付法勝寺」とみえる。これによると、京都仁和寺の子院である円楽(えんらく)寺(現京都市右京区)の所領であった観音寺庄と東拝師(ひがしはやし)庄(現阿波町)は、「悪党人」のために国領に収公されたことがあったが、その後その根拠がないことがわかったとして、先の国司が本所であるとして法勝(ほつしよう)寺(現京都市左京区)領としてしまったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報