鎌倉幕府では,執権北条泰時の時代に,有力御家人と事務練達者とが幕政に参画すべきメンバーとして選任されて,評定衆と称された。以後,執権・連署と15名前後の評定衆とで行う評定が,幕府の最高決裁機関となった。御家人の所領に関する訴訟は,専門の裁判機関である引付での審理を経たのち評定にかけられる定めであり,これを評定沙汰と称した。朝廷においても後嵯峨院政期に,若干名ずつの上流廷臣と実務家中流廷臣とから成る評定衆が置かれた。この評定衆による評定は,奏事とならぶ政務処理の二大ルートの一つとして,鎌倉時代を通じて独自の発達を遂げた。鎌倉幕府の評定制はおおむね室町幕府に引き継がれたが,しだいに衰退した。江戸幕府では特殊な裁判機関として評定所が存在した。寺社・町・勘定の三奉行が主たる構成員で,個々の役所で扱いきれない事件を審議した。また老中からの諮問に対して評議・答申した。
執筆者:山本 博也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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