設楽郡
したらぐん
「延喜式民部頭注」に「延喜三年八月十三日割宝飫郡置設楽郡」とあって、一〇世紀初頭に宝飯郡の北半が分割独立したものであった。「和名抄」刊本には賀茂・設楽・黒瀬・多原の四郷が記される。建置当初の範囲は近世の設楽郡の範囲とは多少異なり、北部の現北設楽郡富山村・豊根村・津具村・稲武町は加茂郡に属しており、また南部でも現南設楽郡作手村の南半は近世初頭に宝飯郡に属していた(三河国郷村高附帳)。また現額田郡額田町の千万町は本郡に属していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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