講堂町(読み)こうどうちよう

日本歴史地名大系 「講堂町」の解説

講堂町
こうどうちよう

上京区椹木町堀川西入

東西に通る椹木町さわらぎちよう(旧中御門大路)を挟む両側町で、中央を南北に葭屋町よしやまち通が通る。平安京の条坊では左京一条二坊二保五町の南から二条二坊一保八町の北の地で、官衙町の一つ「官厨家」の南から「東宮町」の北の跡地(拾芥抄)

応仁記」応仁元年(一四六七)六月八日条に「中ノ御門猪熊ノ一色五郎館ニ乱妨人火ヲカケ」と記し、当地付近に一色五郎の居館があった。応仁以前の景観を描くとされる中昔京師地図は一条猪熊付近に「一色五郎」と記す。

寛永一四年(一六三七)洛中絵図では「かうだう丁」、寛永一八年以前平安城町並図では「ふろや丁」、寛文一二年(一六七二)の洛中洛外大図では「革堂町」、元禄末期洛中絵図に「講堂丁」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む