日本歴史地名大系 「讃良庄・讃良新庄」の解説
讃良庄・讃良新庄
さららのしよう・さららしんしよう
讃良郡内に成立した庄園。現寝屋川市・四條畷市・
讃良庄は藤原定家の姉九条尼の相伝家領で、「明月記」正治二年(一二〇〇)八月四日条に「河内国讃良荘斎宮木柴譴責之内、自坊門以使被示、仍示付了」とみえ、野宮柴役を課せられている。ついで「後鳥羽院熊野御幸記」建仁元年(一二〇一)一〇月五日条に「今夜宿讃良庄勤仕之」とあり、後鳥羽上皇の熊野詣に随行した定家が、ゆかりのある讃良庄に宿している。その後「明月記」建暦二年(一二一二)八月八日条によれば、九条尼は讃良庄と
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報