金剛三昧院(読み)こんごうさんまいいん

日本歴史地名大系 「金剛三昧院」の解説

金剛三昧院
こんごうさんまいいん

[現在地名]高野町高野山

安養あんによう院の南一五〇メートル、小田原おだわら谷の最南部の山腰に位置する別格本山。本尊愛染明王。北条政子が大檀主となり、建立奉行は秋田城介景盛(大蓮房覚智)がつとめた。開山は行勇荘厳房で、はじめ禅定ぜんじよう院と号した。鎌倉源家三代にわたる将軍菩提(信堅院号帳)。「高野伽藍院跡考」によれば、建暦元年(一二一一)北条政子が源頼朝の菩提のためにまず禅定院を建て、承久元年(一二一九)さらに源実朝の菩提のために禅定院を改建、金剛三昧院と改号、貞応二年(一二二三)頃堂舎が完成した。この改建に活躍したのが実朝の側近葛山五郎景倫入道願生で、政子は願生に紀伊国由良ゆら荘の地頭職を与え、その得分を住山の資にあてた(嘉禎二年四月五日「葛山願生書状案」金剛三昧院文書)。改建当初の堂塔は、弘安四年(一二八一)三月二一日の金剛三昧院条々事書并安堵外題案(同文書)に堂二宇、塔二基、護摩堂二宇、経蔵一宇、鐘楼一宇、鎮守社一宇とあり、院領は「河州新開庄観音堂領・同州讃良庄護摩堂領・美州大原保大日堂領・賀州虎武保南塔所領・紀州由良庄大臣家月忌領・泉州横山庄二位家月忌領」とある。

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改訂新版 世界大百科事典 「金剛三昧院」の意味・わかりやすい解説

金剛三昧院 (こんごうさんまいいん)

高野山金剛峯寺子院の一つ。北条政子が源家三代の菩提を弔うために,安達景盛(大蓮房覚智)を奉行として創建。当初は禅定院と称したという。ついで源実朝の近習葛山景倫(願性)が雑掌となって奔走し,1223年(貞応2)ごろ堂舎が完成,臨済僧栄西を導師として落慶供養を行い,その弟子退耕行勇を開山とした。禅宗と密教の兼学を旨とし,代々の長老は山外から任ぜられた。鎌倉時代後期以降,幕府の保護および安達氏,足利氏などの有力な武家の帰依によって,山内諸子院を事実上統轄する有力な寺院に発展した。寺領も,河内国讃良荘,筑前国粥田荘,美作国大原保,紀伊国由良荘,和泉国横山荘などきわめて多い。他の子院とはやや離れた小田原谷の最南部の山腹に位置するため,山内の火災の類焼からまぬがれ,創建当時の多宝塔国宝)や経蔵(重文)など山内で数少ない鎌倉時代の建築遺構が現存する。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金剛三昧院」の意味・わかりやすい解説

金剛三昧院
こんごうさんまいいん

和歌山県高野町にある真言宗の寺院。源実朝の菩提を弔うため,承久3 (1221) 年鎌倉禅尼 (北条政子) が高野山内に建立した子院。多宝塔は貞応2 (23) 年に建造され,柱,壁,長押 (なげし) などには彩色を施し,仏画を描いている。鎌倉時代前期の多宝塔として貴重な遺構で,国宝。

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デジタル大辞泉プラス 「金剛三昧院」の解説

金剛三昧院

和歌山県伊都郡高野町にある寺院。高野山真言宗別格本山。鎌倉時代に北条政子が、源頼朝、実朝の菩提のため創建。1223年に建てられた国宝の多宝塔など多く文化財がある。

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世界大百科事典(旧版)内の金剛三昧院の言及

【高野版】より

…用紙は厚手の鳥の子紙を用い,表裏に印刷し,装丁はおおむね粘葉(でつちよう)形を採用した。開版者としてとくに知られる秋田城介(あきたのじようのすけ)(安達泰盛,1231‐85)は,鎌倉執権北条氏の姻戚として勢力をもち,祖父景盛以来の縁故で高野山にはいり,その金剛三昧院(こんごうさんまいいん)は10万余石の扶持を封禄し,武家の愛護のもとに偉大な勢力をもって,開版事業にも力をつくした。現存するものでは1253年(建長5)刊《三教指帰(さんごうしいき)》が最も古い。…

※「金剛三昧院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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