大東(読み)ダイトウ

デジタル大辞泉 「大東」の意味・読み・例文・類語

だいとう【大東】

大阪府東部の市。生駒いこま山麓に、野崎参りで知られる野崎観音慈眼寺じげんじ)がある。住宅や工場が多い。人口12.7万(2010)。

だい‐とう【大東】

東の果て。極東。また、日本の異称。

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精選版 日本国語大辞典 「大東」の意味・読み・例文・類語

だい‐とう【大東】

  1. ( 「たいとう」とも )
  2. [ 1 ] 〘 名詞 〙 東のはて。極東。〔詩経‐魯頌・閟宮〕
  3. [ 2 ]
    1. [ 一 ] 転じて、日本の称。
      1. [初出の実例]「白雪玲瓏照大東、仰頭只看蔚藍」(出典:徂徠集(1735‐40)五・奉和亜槐藤公富士二什)
    2. [ 二 ] 大阪府中東部の地名。生駒山地西側の斜面から深野(ふこの)池、新開池の干拓地一帯を占める。現在は、JR片町線が通じる大阪の住宅衛星都市であり、紡績、電気機器などの工場も多い。野崎参りで知られる野崎観音(慈眼寺)がある。昭和三一年(一九五六)市制。

おお‐ひがしおほ‥【大東】

  1. 〘 名詞 〙 真東。または、ほぼ東を指すとも。
    1. [初出の実例]「あれは七条まちに江冠者が家の、おほ東にある鋳物師(いもじ)が妻を」(出典:宇治拾遺物語(1221頃)五)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大東」の意味・わかりやすい解説

大東(市)
だいとう

大阪府の東部にある市。1956年(昭和31)北河内(きたかわち)郡住道(すみのどう)、四条(しじょう)の2町と南郷(なんごう)村が合併して成立。市名は大阪市の東部にあることによる。JR片町線、大阪外環状線道路、国道170号などが通じ、1997年(平成9)にはJR東西線が開通したことにより、片町線経由で大阪市中心部と直通電車で結ばれる。かつては、市の西部一帯は深野池(ふこのいけ)とよばれる入り江で、生駒(いこま)山地西麓(せいろく)の断崖(だんがい)の下まで海が迫っていた。その後、淀(よど)川、大和(やまと)川などの堆積(たいせき)でしだいに陸化し、池と山麓の間には、四条、北条など条里制を表す地名が残っている。大和川付け替え後は、干拓により農地が開け、綿花と菜種が栽培され、大阪市内に出荷された。1958年末に生駒山地を横断する阪奈道路(はんなどうろ)が完成してから、沿線に住宅や工場の進出が著しい。市の産業を代表する三洋電機や京セラ、日本コンベヤ(2016年本社は東京都千代田区に移転)などの大メーカー、中堅企業のほか中小企業工場が多い。東高野(ひがしこうや)街道と清滝(きよたき)街道が山麓を巡っている飯盛山(いいもりやま)は要害の地として知られ、戦国時代には畠山(はたけやま)氏や三好長慶(みよしながよし)が大規模な山城(やまじろ)を築いている。野崎詣(まい)りで知られる野崎観音は、曹洞(そうとう)宗福聚(ふくじゅ)山慈眼(じげん)寺の俗称で、のどかな風景はなくなったが、いまも5月1~8日の無縁経法要はにぎやかである。浄瑠璃(じょうるり)で有名な「お染久松」の墓もある。東部の山地は金剛生駒紀泉国定公園(こんごういこまきせんこくていこうえん)に含まれる。面積18.27平方キロメートル、人口11万9367(2020)。

[安井 司]

『『大東市史』全4巻(1973~1989・大東市)』



大東(島根県)
だいとう

島根県中東部、大原郡にあった旧町名(大東町(ちょう))。現在は雲南市(うんなんし)の東部を占める地区。1903年(明治36)町制施行。1951年(昭和26)春殖(はるえ)、幡屋(はたや)、佐世(させ)、阿用(あよう)の4村と合併。1957年海潮(うしお)村を編入。2004年(平成16)加茂(かも)町、木次(きすき)町、三刀屋(みとや)町、掛合(かけや)町、吉田(よしだ)村と合併、雲南市となる。旧町域は、斐伊(ひい)川の支流赤川に沿い、JR木次線が通じる。赤川は河床が低く、斐伊川の水が逆流して水害をもたらしたが、「なまずの尾」とよばれる導流堤を築き水害を防いでいる。江戸時代には松江藩主の特許を得て牛市(いち)が開かれ盛大であった。養鶏の盛んな町として知られるが、過疎化が悩みとなっている。ほかに、稲作、果樹・野菜栽培、茶、酪農、和牛生産などが行われ、観光農園や体験農園も盛ん。赤川沿いに『出雲国風土記』にもみえる海潮温泉がある。日原(ひばら)神社の「海潮のカツラ」は国指定天然記念物。海潮山王寺神楽(かぐら)、大原神職神楽は県の無形民俗文化財、また江戸から続く大東七夕(たなばた)祭がある。

[小松 聰]

『『大東町誌』(1971・大東町)』


大東(静岡県)
だいとう

静岡県中南部、小笠郡(おがさぐん)にあった旧町名(大東町(ちょう))。現在は掛川(かけがわ)市の南東部を占める地域。菊(きく)川河口付近と右岸に街が広がる。旧大東町は、1973年(昭和48)大浜町と城東(きとう)村が合併し、両町村の一字をとって改称。2005年(平成17)大須賀(おおすか)町とともに掛川市と合併。国道150号が通じる。北部の丘陵地は茶園化が著しく、南部の遠州灘(えんしゅうなだ)海岸砂丘地帯ではメロン栽培が盛んで、ニンジン、トマトなどもつくられている。また、工業団地が造成され、工場進出もみられる。1998年東京女子医科大学大東キャンパスが開校した。発達した海岸砂丘、1574年(天正2)徳川・武田両軍の激しい攻防が展開された高天神城跡(たかてんじんじょうあと)(国指定史跡)は観光の対象となっている。

[川崎文昭]

『『大東町誌』全2冊(1984、1998・大東町)』


大東(岩手県)
だいとう

岩手県南部、東磐井郡(ひがしいわいぐん)にあった旧町名(大東町(ちょう))。現在は一関(いちのせき)市の北東部を占める地域。1955年(昭和30)大原、摺沢(すりさわ)の2町と興田(おきた)、猿沢(さるさわ)、渋民(しぶたみ)の3村が合併して成立。2005年(平成17)一関市に合併。JR大船渡(おおふなと)線、国道343号、456号が通じる。北上(きたかみ)高地の丘陵地帯で、南西部を砂鉄(さてつ)川が流れ、樹枝状の谷に沿って水田が開ける。古くから葉タバコ、養蚕が中心であった。近年は酪農、リンゴの栽培が盛んで、シイタケの生産は県内一を誇る。大原八幡神社(おおはらはちまんじんじゃ)の2月11日の「水かけ祭り」は厄落としの奇祭として知られる。仙台藩儒者芦東山(あしとうざん)(1697―1776)は渋民の生まれで、中国刑法の集大成『無刑録』を著した。芦東山先生記念館がある。

[川本忠平]

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改訂新版 世界大百科事典 「大東」の意味・わかりやすい解説

大東[市] (だいとう)

大阪府東部の市。1956年住道(すみのどう)町,四条町,南郷村が合体,市制。人口12万7534(2010)。生駒山地西斜面から河内平野にかけて市街が広がり,西は大阪市に接する。弥生時代の遺跡や条里制の遺構が存在し,古くからの集落は生駒山麓を南北に通る東高野街道沿いにあった。平野部では米作を中心に,河内木綿の原料となるワタも明治初めまで栽培されていた。明治期には生駒山地の谷に水車が置かれ,製粉業が発達した。1895年浪速鉄道(現,JR片町線)が開通し,駅周辺から市街化が始まった。明治中期に立地した鐘淵紡績工場や綿ネル,タオル工場に加え,第2次大戦後は大阪中央環状線,外環状線,国道170号線(東高野街道),阪奈道路などの沿線に電器,機械,金属,プラスチック製造などの工場や倉庫が立地している。1969年片町線の四条畷~片町間が複線化されてからは,宅地化がいっそう進んだ。近畿自動車道の大東鶴見インターチェンジがある。野崎観音の名で知られる慈眼寺があり,東部は金剛生駒国定公園に含まれる。
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大東(岩手) (だいとう)


大東(静岡) (だいとう)


大東(島根) (だいとう)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大東」の意味・わかりやすい解説

大東
だいとう

岩手県南端,一関市北東部の旧町域。北上高地の南部にある。 1955年大原町,摺沢町の2町と興田村,猿沢村,渋民村の3村が合体して大東町が成立。町名は東磐井郡の東部にあって広大なことから命名。 2005年一関市,花泉町,千厩町,東山町,室根村,川崎村の6市町村と合体して一関市となった。中心地区の大原は,今泉街道 (国道 343号線) の宿場町として栄えたが,1925年国鉄大船渡線が西部の摺沢を通るにいたって交通,経済の中心の地位も移った。毎年2月の大原の水かけ祭は厄落とし行事として有名。シイタケ,タバコ,リンゴ栽培,酪農,畜産が営まれ,第1次産業就業率が高い。東南の室根山の山麓一帯は室根高原県立自然公園に属する。

大東
だいとう

島根県東部,雲南市東部の旧町域。斐伊川の支流赤川の上流域にある。 1903年町制。 1951年春殖村,幡屋村,佐世村,阿用村の4村と合体。 1956年海潮村を編入。 2004年加茂町,木次町,三刀屋町,吉田村,掛合町の5町村と合体して雲南市となった。中世の大原郡東荘の地。古くは高瀬舟による赤川舟運の起点で牛市で知られた。農業が中心で茶を産し養鶏も行なわれる。須我神社,海潮温泉があり,海潮のカツラは国の天然記念物。阿用にはかつて国内生産量の大部分を産出したモリブデン鉱山があった。

大東
だいとう

静岡県南西部,掛川市南東部の旧町域。小笠山丘陵の東斜面と菊川の流域および遠州灘沿いの砂丘地帯を含む。 1973年大浜町と城東村が合体して大東町が発足。 2005年掛川市,大須賀町と合体して掛川市となった。菊川流域は一部の湿地を除いて,大部分は水田,山地の緩斜面はチャ (茶) ,ミカン園に利用され,砂丘地帯では温室メロン,トマトが生産される。中部遠州開発の拠点として小笠山開拓パイロット事業,小笠用水幹線の導入,農業管理センター,温室団地,小笠山総合運動公園の建設などが進められた。西部の山麓に武田氏,徳川氏の攻防戦の拠点,高天神城跡 (国指定史跡) がある。一部は御前崎遠州灘県立自然公園に属する。

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百科事典マイペディア 「大東」の意味・わかりやすい解説

大東[町]【だいとう】

岩手県南部,北上高地南部の東磐井(ひがしいわい)郡の旧町。近世には一関〜陸前高田間を通じる今泉街道の旧宿場町であった。大船渡(おおふなと)線に沿う摺沢(すりさわ)に市街が発達。山地が広く,古くから葉タバコの産が多く,養蚕も行われるが,近年は水稲や酪農,リンゴ,シイタケなどの複合経営が主流。2005年9月西磐井郡花泉町,東磐井郡千厩町,東山町,室根村,川崎村と一関市へ編入。278.71km2。1万7714人(2003)。

大東[町]【だいとう】

島根県東部,大原郡の旧町。斐伊(ひい)川の支流赤川流域と周辺山地を占め,木次(きすき)線が通じる。中心集落は,六斎市の開かれる市場町として栄えた。和牛飼育,メロン,茶などの栽培を行う。海潮(うしお)温泉がある。かつて全国生産の80%を産したモリブデン鉱山は閉山。2004年11月大原郡加茂町,木次町,飯石郡三刀屋町,掛合町,吉田村と合併し市制,雲南市となる。152.23km2。1万4759人(2003)。

大東[町]【だいとう】

静岡県の南西部,遠州灘に面する小笠郡の旧町。米作,野菜栽培とメロン,イチゴなどの施設園芸が行われ,茶,タバコも産する。地場産業の鉄工業,繊維工業に加え,海岸部には化学工場などが立地。2005年4月小笠郡大須賀町と掛川市へ編入。45.99km2。2万937人(2003)。

大東[市]【だいとう】

大阪府東部の市。1956年市制。生駒山地西側から河内平野にわたる。江戸中期に深野(ふこうの)池,新開池を干拓した低地では宅地化が進む。大阪市に接し,片町線,近畿自動車道,阪奈道路が通じ,紡績,電気器具の大工場が進出,山麓には在来の製粉,金網,メリヤスなどの小工場が多い。東部は金剛生駒紀泉国定公園に含まれる。〈野崎参り〉で有名な慈眼(じげん)寺(野崎観音)がある。18.27km2。12万7534人(2010)。

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