四條畷市(読み)シジョウナワテシ

デジタル大辞泉 「四條畷市」の意味・読み・例文・類語

しじょうなわて‐し〔シデウなはて‐〕【四條畷市】

四條畷

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「四條畷市」の解説

四條畷市
しじようなわてし

面積:一八・九〇平方キロ

府の北東部、北河内の南東部に位置し、市域の東過半は河内・大和境に南北に延びる生駒山地に属する。山地西部から西方に開ける平地部は標高数十メートルから数メートルに緩傾斜し、東西約三キロ、南北は約二キロで、北部は枚方ひらかた丘陵へと緩上昇する。当市域の生駒山地(大部分は金剛生駒国定公園に含まれる)は標高二七〇メートル前後の山々が起伏、南方大東だいとう市との境に最高峰飯盛いいもり(三一四・三メートル)がある。谷間の水は権現ごんげん川・清滝きよたき川・讃良ささら川などとなって西流、西部低地の水田を潤して寝屋川に注ぐ。なかでも権現川は山地の山々の滴り水に発し、南野みなみのの山間部にあるむろ池の水を集めて流れ下り、最大の灌漑用水源として利用されてきたが、水田が減少した今では、市域の上水源として重要となった。一方、山地東斜面の標高一五〇メートル前後には、盆地状の田原たわら地区が開ける。同地は生駒山地東側に形成された府下唯一の集落で、北流する天野あまの川を挟んで同名の奈良県生駒市田原地区に続く。田原地区の水は寒谷さむたに北谷きたたにえびすの三河川となって天野川の上流に集まり、天野川は交野かたの市・枚方市を通過する間に川幅を増しつつ淀川へ流入する。市西部低地の西から北は寝屋川市、山地北部は交野市、東は生駒市、南は大東市に囲まれ、古くからの交通路は市域中央部を東西に貫通する清滝街道(国道一六三号)および山地西麓を南北に走る東高野街道(府道枚方―富田林―泉佐野線)、現在はこれに加え市域西端近くを国道一七〇号(大阪外環状線)が南北に通る。国鉄は片町線が通りしのぶおか駅がある。同線四条畷駅は市域南端近くにあるが大東市域である。市名は明治二三年(一八九〇)南野に楠木正行を祀って創建された四條畷神社に由縁する。

〔原始〕

市域北端平地部に東西に延びる忍岡しのぶがおか丘陵があり、その西端は独立丘の体をなして忍岡とよばれる。丘陵北側を讃良川が流れ、同川によって形成された段丘上に岡山更荒寺おかやまさららじ遺跡(寝屋川市にまたがる)があり、旧石器時代のナイフ形石器、縄文後・晩期の土器や石器など多くの遺物が発見された。忍岡北西端頂上には全長九〇メートルの前方後円墳(忍岡古墳)が築かれており、忍岡の東側からは坪井つぼい・忍ヶ丘駅前などの遺跡が発見されている。いずれも古墳時代から鎌倉―室町に至る複合遺跡である。また東方から南方にかけてにも奈良井ならい遺跡(古墳―鎌倉時代)中野なかの遺跡(古墳中期―室町初期)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「四條畷市」の意味・わかりやすい解説

四條畷〔市〕
しじょうなわて

大阪府東部,生駒山地北西麓の市。 1970年市制。西部の中心市街地の四條畷は清滝街道 (国道 163号線) と東高野街道 (国道 170号線) の交差する交通の要地。南北朝時代の古戦場 (→四條畷の戦い ) として知られ,楠木正行をまつる四條畷神社,楠木塚などの遺跡が多い。山麓部には機械,織布金網などの中小工場があり,西部の大阪平野では野菜栽培が行なわれる。 1990年中央部に大阪府が運営する緑の文化園が開園。東部の山岳地帯は金剛生駒紀泉国定公園に属する。 JR片町線 (学研都市線) が通る。面積 18.69km2人口 5万5177(2020)。

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