谷上院湯屋跡(読み)たにがみいんゆあと

日本歴史地名大系 「谷上院湯屋跡」の解説

谷上院湯屋跡
たにがみいんゆあと

現在の高野山高校の敷地内にあった。正応四年(一二九一)の年中行事帳には三月三日・五月五日・九月九日などの節供諸院の湯を沸すことがみられ、元応三年(一三二一)二月晦日の金剛心院内大集会評定置文(又続宝簡集)には谷上院湯屋谷の伐木を禁ずることを定めているから、この頃にはすでにあったらしい。その後、文明一七年(一四八五)一二月一〇日の金剛心院湯料借銭日記(同集)をはじめ、金剛心院文書には多数の関係史料がみられ、明応四年(一四九五)五月晦日の金剛心院湯料勘録状(同集)には院内より湯料を徴収していたことがみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報