日本歴史地名大系 「谷中上三崎北町」の解説 谷中上三崎北町やなかかみさんさききたちよう 東京都:台東区旧下谷区地区谷中上三崎北町[現在地名]台東区谷中(やなか)五丁目谷中三崎町の北にある。同町の一部が明治五年(一八七二)に起立。東は谷中初音(やなかはつね)町二丁目、南は同町一丁目、北は同町三丁目。谷中養泉(ようせん)寺・谷中観音(かんのん)寺・谷中興禅(こうぜん)寺・谷中観智(かんち)院・谷中明王(みようおう)院の各門前五町が中心になって形成され、寺地を合併した。江戸時代この五門前はのちに谷中上三崎南町に合併する四門前とともに谷中九ヵ寺門前と唱え、町役などを共同で勤めた。また延享二年(一七四五)に支配が寺社奉行から町奉行に変わっている(文政町方書上)。明治二四年に旧谷中村の安立寺横(あんりゆうじよこ)町・中門前(なかもんぜん)を合併。また観智院・明王院の両門前が谷中初音町一丁目に編入された。町域内には次の寺院の寺地が編入された。新義真言宗加納(かのう)院は慶長一六年(一六一一)の建立。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by