谷口銀山跡(読み)たにぐちぎんざんあと

日本歴史地名大系 「谷口銀山跡」の解説

谷口銀山跡
たにぐちぎんざんあと

[現在地名]金山町谷口銀山

谷口銀山村本郷の西、八森はちもり(三八〇・八メートル)南方吉次きちじ山とよばれる三角形の小山近くにあった銀鉱山で付近には鉱滓が散在し、水抜きとみられる大切舗が残り、金売吉次の発見との伝承もある。最盛期は寛永―慶安年中(一六二四―五二)で、秋田藩の重臣梅津政景の日記によれば慶長一七年(一六一二)四月五日、当銀山より院内いんない銀山(現秋田県雄勝郡雄勝町)へ向かった者を院内にて取押えたとみえ、遅くとも慶長期、あるいは早ければ戦国末期から稼働していたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む