谷村大堰(読み)やむらおおせぎ

日本歴史地名大系 「谷村大堰」の解説

谷村大堰
やむらおおせぎ

現都留市田原たはら四丁目と十日市場とおかいちばの境に架かる田原ノ滝の直上に堰を設けて取水し、江戸期の谷村城下四日市場よつかいちば村・古川渡ふるかわど村などを潤した用水十日市場で取水することから十日市場大堰といわれ、近代以降に谷村大堰と称された。寛永一〇年(一六三三)秋元泰朝が上州総社そうじや(現群馬県前橋市)から谷村城主として封ぜられ、水田が少なく土地が痩せている谷村藩領内に機織の技術を導入して郡内織を起こすとともに、開田策にも力を注いだ。その最初の事業として、同一三年家臣の高山五兵衛・林善兵衛・萩谷又右衛門らを奉行として開削に着工、三年で竣工させたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の谷村大堰の言及

【甲斐国】より

…国中3郡では寛文期に河西領と直轄領・給地が入り組んだ河東領において区々に施行され,さらに柳沢氏による部分的検地もあって,1756年(宝暦6)には甲斐全体で村数775,石高30万6077石と把握されている。山国である甲斐は土地利用の進んだ中心部甲府盆地に対して,諸川の扇状地や台地などでは郡内領の谷村大堰や峡北の徳島堰に象徴されるような規模の大きな堰の開削が寛永~寛文期(1624‐73)に集中し,元禄期(1688‐1704)には各地域の一般的農業生産の上に地理的条件にもとづいた特産物生産が展開した。農業生産力の最も豊かな甲府盆地東部の山梨,八代両郡の養蚕業は登せ糸生産として顕著な発展を示し,甲州街道(甲州道中)勝沼宿周辺では特殊果樹としてブドウ生産があった。…

※「谷村大堰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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