谷村城下(読み)やむらじようか

日本歴史地名大系 「谷村城下」の解説

谷村城下
やむらじようか

谷村藩の城下町。宝永元年(一七〇四)の谷村藩主秋元氏の武蔵川越転封後、谷村城および武家地は破却され、富士道沿いに広がる在郷町谷村となった。同二年の谷村城下絵図(横山脩治家蔵)による城下の範囲は、桂川右岸の現都留市街の上谷かみや一―三丁目・同四―五丁目東部、中央ちゆうおう一―四丁目、つる三丁目西部と推測される。

〔城下の成立〕

享禄三年(一五三〇)小山田氏中津森なかつもり館が焼失し、同五年に谷村に新屋敷が建てられた(勝山記)。小山田氏が谷村に居館を移した理由は城下を形成しやすい地形的な条件があったことと、富士道に面した交通上の要地であったことが考えられる。また近辺四日市場よつかいちば十日市場とおかいちばという市場地名が存在するように、流通経済上の要地とも重なりあっていたのであろう。武田氏滅亡後、天正一〇年(一五八二)には小山田氏も谷村の居館を追われ、以後鳥居・加藤・浅野といった諸氏が谷村により、次いで秋元氏が寛永一〇年(一六三三)に都留郡一万八千石を領して谷村に在城した。城下の形成がいつ頃から開始されたかは未詳だが、秋元氏の時代に城下の整備が進んだという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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