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谷森善臣 たにもり よしおみ

美術人名辞典の解説

谷森善臣

幕末・明治時代の国学者。通称二郎・外記、号は菫壷。伴信友の門で国学を学ぶ。史学に精通し、和歌・書にも長けた。勤王の志厚く、山陵調査に貢献した。三条西家の侍臣、大和介から、大学中博士・正四位に叙せられた。著書に『帝陵略譜』『南山小譜』等がある。明治44年(1911)歿、95才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

谷森善臣 たにもり-よしおみ

1818*-1911 幕末-明治時代の国学者。
文化14年12月28日生まれ。京都の人。三条西家の臣。伴信友(ばん-のぶとも)にまなぶ。文久年間,大和,河内(かわち)などの陵墓を調査し,修復にも尽力。明治2年大学中博士,8年修史館修撰。南朝史や皇室系譜などの研究にあたった。明治44年11月16日死去。95歳。初名は種松,松彦。通称は二郎,外記。号は菫壺,靖斎。著作に「山陵考」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

谷森善臣

没年:明治44.11.16(1911)
生年:文化14.12.28(1818.2.3)
幕末から明治時代の国学者。京都の人,三条西家侍臣。幼名種松,のち松彦,大和介。号菫壺,靖斎。国学を京都の伴信友に学ぶ。文久2(1862)年山陵奉行戸田忠至の下で山陵修補御用掛嘱託となり山陵取調べに参加,修築に尽力し,皇陵史料渉猟を志した。『諸陵徴』『諸陵説』に続き,主著『山陵考』(4巻,1867年献上)をまとめた。維新後は神祇事務掛,昌平学校出仕などを経て,明治8(1875)年修史館修撰。大学中博士,39年正四位。皇陵のほか,南朝史や日本語音韻論をめぐる多くの著書を残した。<参考文献>藤田義彰「谷森靖斎先生とその著書」(『宮内省互助』31,32号)

(ロバート・キャンベル)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

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