三条西家(読み)さんじょうにしけ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三条西家」の意味・わかりやすい解説

三条西家
さんじょうにしけ

藤原氏北家のうち、三条家の庶流正親町三条(おおぎまちさんじょう)家の分家。室町時代前期内大臣正親町実継(さねつぐ)の子公時(きんとき)に始まる。屋敷があった地名三条北の西朱雀(にしすざく)が家名となった。家格は大臣家。公時以下歴代大納言であったが、公保(きんやす)・実隆(さねたか)・実枝は内大臣、実隆の子公条は右大臣となった。室町時代から安土桃山時代の実隆・公条・実枝は古典学者歌人として名高く、古今伝授を継承した。なかでも実隆は中世文化・文学を代表する人物で、日記『実隆公記』は一流史料としても著名である。江戸時代の公福(きんとみ)・実称(さねよし)・季知も歌人として活躍。季知はまた幕末の攘夷派の七卿落(しちきょうおち)の1人。明治期に伯爵となる。和歌のほか香道家業とする。江戸時代前期に分家した武者小路(むしゃのこうじ)家・押小路家にも優れた歌人が輩出した。

[鶴崎裕雄]

『芳賀幸四郎著『三条西実隆』(1987・吉川弘文館)』『鶴崎裕雄著『戦国の権力と寄合の文芸』(1988・和泉書院)』

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改訂新版 世界大百科事典 「三条西家」の意味・わかりやすい解説

三条西家 (さんじょうにしけ)

藤原氏北家閑院流三条家の庶流正親町(おおぎまち)三条家の内大臣実継の男公時を始祖とする堂上公家。家格は大臣家。三条西とも西三条とも称した。第4代実隆は和歌をよくして宗祇より古今伝授を受け,古典の学問,有職故実に明らかで多くの著述があり,廷臣のみならず,戦国大名にも教えを請うものも多く,当代の師範と仰がれた。その男公条,孫実枝も父祖の業を伝え,江戸時代には家禄500石を給された。実枝の孫実条の男公種が武者小路家を,孫公音が押小路家を起こした。幕末の季知は尊王攘夷を唱え,文久3年(1863)8月18日の政変に,本宗の三条実美ら6名の公卿とともに長州に下った,いわゆる〈七卿落〉の一人である。1884年,季知の男公允のとき伯爵を授けられた。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「三条西家」の解説

三条西家
さんじょうにしけ

西三条家とも。藤原氏閑院(かんいん)流の正親町(おおぎまち)三条家庶流。大臣家。南北朝期,正親町三条実継の次男公時に始まる。家名は公時の邸宅が三条北,西朱雀(すざく)にあったことによる。正親町三条公豊の次男公保が2代実清のあとを継いで内大臣となり,大臣家の家格を得た。その子実隆は,一条兼良(かねよし)のあとをうけて中世和学の発達を推進し,公家文化の地方普及に功績があった。その学問は子公条(きんえだ),孫実枝(さねき)に継承された。江戸時代の家禄は502石余。実枝の孫実条(さねえだ)は江戸初期の武家伝奏を27年間勤め,右大臣となる。幕末の季知は七卿落ち(しちきょうおち)の1人。維新後,公允(きんあえ)のとき伯爵。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三条西家」の意味・わかりやすい解説

三条西家
さんじょうにしけ

藤原氏北家。大臣家の一つ。南北朝時代後期の内大臣正親町三条実継の子公時がその祖。戦国時代の内大臣実隆が学者,歌人として有名。香道においても名高い。明治にいたって伯爵。 (→三条西実隆 )

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世界大百科事典(旧版)内の三条西家の言及

【青苧座】より

…中世後期,繊維原料である青苧(カラムシ)の特権的な取引を行っていた商人座。青苧特産地であった越後国の府中,近江国の中継港坂本,青苧取引市場の京都や天王寺等の各地に成立し,三条西家を本所としていた。三条西家が青苧諸座の本所となったのは,14世紀末に正親町(おおぎまち)三条家が知行していた苧(からむし)課役徴収権を継承したことに由来するものであろう。…

※「三条西家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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