江戸後期の国学者。安永(あんえい)2年2月25日生まれ。若狭(わかさ)国(福井県)小浜(おばま)藩士山岸惟智(やまぎしこれとも)の四男。14歳、同藩士伴信当(のぶまさ)の養子となり、翌1787年江戸に移住。通称州五郎。事負(ことひ)と号す。本居宣長(もとおりのりなが)の没後門人。壬申(じんしん)の乱に関する考証『長等(ながら)の山風』、外交史に関する考証『中外経緯伝』、式内社と式外の国史見在社についての考証『神名帳(じんみょうちょう)考証』(1813成立)、随筆『比古婆衣(ひこばえ)』(1847、1861)など国史の研究に優れた業績を残す。平田篤胤(ひらたあつたね)と親しかったが、1823年ごろから不仲となる。稿本類は宮内庁書陵部、国会図書館、静嘉(せいか)堂文庫、東洋文庫などに、蔵書は京都大学、小浜市立図書館などに現蔵。弘化(こうか)3年10月14日京都で客死。74歳。墓は福井県小浜市伏原(ふしわら)の発心寺に現存する。
[梅谷文夫 2016年6月20日]
『『伴信友全集』全5巻(1907~1909・国書刊行会)』▽『『伴信友全集』5巻・補巻2巻・別巻伴信友研究篇1巻(1977~1979・ぺりかん社。本巻は国書刊行会本の復刻、補巻・別巻は川瀬一馬・大鹿久義編)』▽『石田熊三郎著『伴信友』(1944・春陽堂)』▽『河野省三著『伴信友』(1972・若狭史学会)』▽『森田康之助著『伴信友の思想』(1979・ぺりかん社)』
江戸後期の国学者。若狭小浜藩御馬廻130石山岸惟智の第4子として小浜に生まれる。幼名は鋭五郎(おのごろう),のちに州五郎,惟徳,さらに信友。号は特(ことい)(事負とも書く)。14歳にして同藩勘定頭60石伴信当の養子となり,翌年江戸に移り,16歳より出仕。1811年(文化8)京都に移り堀川所司代屋敷に住み,翌年150石を受けるに至る。15年江戸に移居,21年(文政4)病により致仕。44年(弘化1)ふたたび京都に移住するまで,江戸にあって学問に専念した。信友が本居宣長の《古事記伝》《詞玉緒(ことばのたまのお)》などを読み,村田春門を介して入門を申し入れたのは1801年(享和1)の晩秋で,すでに宣長は9月に没しており,本居大平によって没後の門人とされた。平田篤胤と長く親交があったが,29年(文政12)より疎遠となった。信友の学問は精密な考証を中心としており,神道と国史の研究にすぐれた成果をあげた。ただし,当時の学問の未発達のために,史料の選択が適切でないこともある。史論《長等(ながら)の山風》,随筆《比古婆衣(ひこばえ)》などの主要な著作は,《伴信友全集》全5巻に収められている。
執筆者:平野 仁啓
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(ロバート・キャンベル)
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1773.2.25~1846.10.14
江戸後期の国学者。父は若狭国小浜藩士山岸惟智。通称鋭五郎,のち州五郎,号は特(ことい)・事負。平田篤胤・香川景樹・橘守部と並ぶ天保四大人の1人。同藩士伴信当の養子となり江戸に転居。1801年(享和元)本居宣長没後の門人となって本居大平の指導をうけた。その学風は精緻・周到で慎重な点が特色。考証史学の面で頭角を現し,同門としてはじめ緊密な関係にあり,のちに断交した平田篤胤とは対照的であった。終生,史料の探索と諸書の校訂に従事し,300巻に及ぶ著書は諸方面にわたるが,とくに「日本書紀」後世改刪(かいさん)説や「長等の山風」における大友皇子即位説は有名。著書「比古婆衣(ひこばえ)」「神名帳考証」。
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…神社を合併整理することで,明治初年と明治末年に政府の手でおこなわれた。維新政府は,1872年の太政官布告で神社を〈国家ノ宗祀〉となし,官社,諸社にわけ,官国幣社,府県郷村社と社格を付与し,村社に指定されない雑社の合併整理をはかった。それは,〈大小神社氏子取調規則〉にもとづく,寺請制を神社にあてはめようとのこころみであったが失敗した。1906年内務省訓令で神饌幣帛料の供進を決定する基準を定め,府県郷村社の整理をうながした。…
…紀州藩士長沢伴雄の〈我死ナハウリテ黄金ニカヘナヽム,オヤノ物トテ虫ニハマスナ。長沢伴雄蔵書記〉,伴信友の〈コノフミヲカリテミムヒトアラムニハ,ヨミハテヽトクカヘシタマヘヤ。若狭酒井家々人伴氏蔵本〉などはよく知られている。…
…史論。伴信友著。2巻,付録4巻。…
…本居のこの論の及ぼした影響は大きく,鶴峰戊申や近藤芳樹らによって本居説は深められ,近藤は,さらに〈熊襲の類〉を,肥後国菊池郡山門郷とする新しい説を提唱した。こうした中で伴信友のみは,邪馬台国大和説を堅持して譲らなかった。しかし,本居説の影響は,明治にも及び,星野恒は,新井説とは無関係に邪馬台国山門郡説を打ち出し,卑弥呼は,山門県の田油津媛の先代の人であろうと論じて,卑弥呼が神功皇后ではないことを明確にした。…
※「伴信友」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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