工場労働者の保護を目的とした法律。1911年制定の日本のものを特に指していうこともある。
産業革命が生んだ工場制度は生産力の飛躍的発展をもたらしたが,他面,児童や婦人の長時間労働,事故の多発,〈工場熱〉(18世紀末の紡績工場を襲った原因不明の熱病)の流行,風紀の乱れなど,さまざまの社会問題をひきおこした。このためイギリスでは1802年,人道主義の立場を代表するロバート・ピールの提案によって,綿工場で働く児童労働を保護する〈徒弟健康風紀法Health and Morals of Apprentice Act〉が制定された。世界最初の工場立法である。その後ロバート・オーエンの努力による1819年法によって,9歳未満の児童労働が禁止されるとともに,16歳未満の児童による1日12時間以上の労働と夜業が禁止された。しかし,これらの法律の実施は地方の治安判事に任されたので,規定はほとんど守られなかった。工場法が実効をあげるようになったのは,アシュレー卿(シャフツベリー伯)らの運動の成果である1833年法が工場監督官の設置を規定してからである。監督官の報告と勧告に基づいて,1844年法では初めて安全対策が規定され,47年の〈10時間労働法〉と50年,53年の改正によって,すべての繊維労働者の労働時間が短縮された。以後,工場法の適用範囲は拡大され,保護の内容もいっそう充実されていくが,諸外国においてもイギリスを範とする工場立法が次々に制定された。プロイセン1839年,フランス1841年,オーストリア1859年,日本(後述)1911年だった。なお,今日ではILO条約によって,労働者の保護は国際的な統一の方向に進んでいる。
執筆者:荒井 政治
日本においても産業資本主義の形成に伴い長時間・深夜労働など工場労働の弊害が著しくなり,1881年以降,工場法の立法が官僚によりいくたびか企てられてきたが,そのたびに繊維産業を中心とする工場主や自由主義経済学者の反対で失敗に終わった。しかし,農商務省による職工事情調査(その報告書である《職工事情》の刊行は1903年)などによって工場労働の深刻さが強く認識されるようになった。労働力保全という産業政策的視点,結核予防という公衆衛生的視点,健全な壮丁の確保という軍事的視点などを総合した国家的見地から,1911年に工場法は公布され,16年9月から施行された。これは児童の雇用禁止,年少者・婦人の就業時間制限・夜業禁止,使用者の災害扶助義務,監督官制度の設置などを規定しており,15人(改正法で10人)以上の労働者を使用する工場に適用された。最初から全産業を適用対象としたこと,労災補償義務の規定を設けたこと,官僚主導下の制定であったことのうちに,日本的な特質がみられる。同法の規制水準は国際的にみて著しく低く,最長労働時間は12時間(実働11時間)とされ,また施行後15年間という期限つきであったが,特定産業に時間延長や昼夜二交替制を認めるものであった。また監督制度の不備のために,違反行為が多く摘発されないままに存続した。とはいえ,同法が労働諸条件の改善と労働者の権利意識の向上に一定の効果をもたらしたことは否定できない。
19年10月にILO第1回総会が開かれ,1日8時間,1週48時間制を定めた第1号条約が採択されたのを契機に改正が企てられ,工場法改正法が23年に公布され,26年7月に施行された。これは,第1号条約を批准できる水準のものでは決してなかったが,最長労働時間の1時間短縮などの措置が採られた。また前述の適用除外期限の短縮がはかられ,29年7月にいたってようやく年少者・婦人の深夜業は全面的に禁止されるようになった。
国家総動員体制下の39年3月に政府は工場就業時間制限令を公布し,成人男子の労働時間をも規制したが,戦局が進むにつれて制限緩和の公認をせまられ,43年6月に工場法戦時特例を設け,また上記の制限令を撤廃した。戦後には労働基準法が制定され,47年の同法施行と同時に工場法は廃止された。
→労働基準法
執筆者:池田 信
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工場労働者の保護を目的として、国家が労働契約に直接介入することによって労働条件を規制する法律をいう。
[湯浅良雄]
その嚆矢(こうし)は、資本主義がもっとも早く発展したイギリスにおいて、1802年に成立した「工場徒弟の健康および道徳の保護に関する法律」である。産業革命によって誕生した機械制大工業においては、それまで生産に不可欠であった熟練労働者にかわって、児童や婦人が低賃金労働者として大量に雇用され、劣悪な労働環境の下で長時間にわたって使用されるようになった。このような児童・婦人の大量雇用と長時間労働は、成人男子労働者の賃金を低下させ、失業させたばかりか、労働者の家庭生活をも深刻な危機に追いやった。なかでももっとも大きな被害を受けたのは児童労働者である。工場における長時間労働と家庭生活の解体によって、彼らの精神的・肉体的荒廃は著しく進行し、児童労働者問題が時の大きな社会問題として注目されるようになった。このようななかで、人道主義者、社会改良家、社会主義者、労働組合、一部の綿工場主、地主などが、それぞれの立場から児童労働者の保護を求めて工場改革運動に立ち上がり始めた。この運動の最初のささやかな成果が、先に指摘した1802年法の成立である。その後、ロバート・オーエンなどの努力によって相次いで法律が制定され、その内容も若干改善されたが、いずれの法律においても有効な実施機構が整備されなかったため、これらの法律はほとんど規制力をもちえず有名無実化してしまった。
1830年代になると、労働組合運動が本格的に工場改革運動に取り組み始め、この結果、各地域に時間短縮委員会が結成され、その運動が大いに発展した。この運動の高揚のなかで成立したのが1833年法である。それは次のような内容の条項からなっている。(1)9歳未満の児童の雇用の禁止、(2)18歳未満の年少者の労働時間の制限(1日12時間)、13歳未満の児童の労働時間の制限(1日8時間)、(3)18歳未満の年少者・児童の夜間労働の禁止、(4)児童労働者の教育の義務化、(5)工場監督官制度の創設、である。内務省によって任命された(5)の工場監督官には、法律の有効な実施を保障するために、工場への立入権や規則の制定権などきわめて大きな権限が与えられた。したがって、この1833年法によって初めて、法律の有効な実施への道が大きく切り開かれることになったのである。
これ以降、1844年法では婦人労働者に保護対象が拡大され、さらに、1847年法では労働時間の制限が10時間に短縮されたように、工場改革運動の粘り強い努力によって、イギリス工場法はしだいにその適用範囲を拡大し、保護内容も豊かなものに発展した。また、先進諸国においても、19世紀の後半にかけて、ほぼ同じ内容をもつ労働保護法が制定され、今日に至っている。
[湯浅良雄]
イギリスに遅れることおよそ110年、日本の工場法は1911年(明治44)に成立した。それは、(1)16歳未満の児童および女子の労働時間の制限(1日12時間)と、深夜労働の禁止、(2)12歳未満の児童の雇用禁止、を中心内容とするものであった。しかし、この法律は、資本家側の激しい反対のなかで、その適用範囲が労働者を15人以上使用する工場に限定されたうえ、非常に多くの例外規定をもち、当時の国際水準からして、きわめて低い水準の保護内容であった。日本の労働保護法がいちおう国際水準に到達するのは、第二次世界大戦後の1947年(昭和22)、工場法にとってかわって制定された労働基準法によってである。
[湯浅良雄]
『B・ハチンズ、A・ハリソン著、大前朔郎他訳『イギリス工場法の歴史』(1976・新評論)』▽『戸塚秀夫著『イギリス工場法成立史論』(1966・未来社)』▽『風早八十二著『日本社会政策史』上下(青木文庫)』
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日本最初の労働者保護法。1911年(明治44)公布,16年(大正5)施行。児童雇用の禁止,年少者・女子の労働時間規制と深夜業禁止,工場主の労災補償責任などを定めた。紡績業・製糸業などにみられた年少の女子の長時間労働,とりわけ紡績業における2交替制の採用による深夜労働などの問題に対応することを目的とした。立法過程では原案が紡績業・製糸業の雇主の反対にあい,期限つきで深夜業を認め,適用対象工場の規模を職工15人以上とするなどの規定の緩和がなされて成立。さらに施行が5年後にひきのばされるなど,労働者保護の点でかなりの限界をもっていたが,深刻化しはじめていた社会・労働不安の緩和には役立った。
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…労働者の安全を確保することが第一の目的であるが,工場周辺の住宅や諸施設に被害を与えないことも重要な目的で,さらに結果的には企業の事業活動の安定・発展に寄与することになる。 従業員の安全に関する法的措置は1802年イギリスの工場法制定に始まる。同法が実質的内容を備えた第5次改定(1833)以後ヨーロッパ各国が相次いで工場法を制定し,事業所内の危険予防施設・衛生設備の設置を定めた。…
…休日は働く者の労働のリズムを整え,労働力の再生産に活力を与えるために欠くことのできないものである。
【産業革命以前の休日】
工場法が施行されるずっと以前から,働く人びとは厳しい労働のあいまに,それぞれの生活に即した休日をもった。古い時代,休日はおおむね祭礼を伴った。…
…広義には,心身がなお未成熟の成長段階にある者の労働を児童労働,成人するになお至らない者の労働を年少労働という。いっそう限定された意味においては,工場法・労働基準法などの労働者保護立法によって雇用を禁止される特定の年齢未満の者の労働を児童労働,いっそう年長ではあるが,成人男子とは区別されてとくにつよく労働時間などを規制される特定の年齢未満の者の労働を年少労働という。 児童労働,年少労働は歴史上古くからみられたのであるが,それが社会問題として注目され,国家によって規制されるようになるのは,産業革命以降のことである。…
…また統治機構を社会関係・階級関係に結びつける機構の法的保障として,1899年の農会法,1900年の産業組合法,1902年の商業会議所法などがある。これと対応して,一方では1900年の治安警察法,行政執行法など治安立法が,他方では1911年の工場法(1916施行)などの社会政策立法が展開された。(4)第4期は,確立した法体制が動揺と再編成を迫られた時期であり,最初の本格的な政党内閣としての原敬内閣の成立をみた1918年から31年の満州事変の発生に至る。…
※「工場法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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