豆津番所跡(読み)まめづばんしよあと

日本歴史地名大系 「豆津番所跡」の解説

豆津番所跡
まめづばんしよあと

[現在地名]北茂安町大字江口字豆津

筑後川の豆津渡に、寛文四年(一六六四)佐賀藩が置いた番所。川中の島が河岸の陸地につながったところで、寛政一一年(一七九九)の三根郡千栗郷図では堤防状の道路によってわずかに河岸につながっている。ここから対岸の久留米領大石おおいし(現福岡県久留米市)へ渡った。正保絵図に「豆津船渡リ広サ百間 筑後ノ内久留米洗切ヘ越」とあり、筑後側の元禄絵図に「川幅百十間舟渡シ大石村ヨリ(肥)前国大豆津迄久町四十間但川幅共」とある。

この番所の警固の任にあたったのは赤司寄合と称する赤司党二八人衆。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新しい環境に適応できず,焦り,ストレスを感じ,気持ちが落ち込むうつ状態。医学用語ではなく通称。もとは大学新入生が5月の連休明け頃から急激に無気力,無関心になることから名づけられたが,時期は5月にかぎら...

五月病の用語解説を読む