豊地(読み)といち

日本歴史地名大系 「豊地」の解説

豊地
といち

東条とうじよう川の中流左岸、東条谷の川沿い低地の現中谷なかたに町付近に比定される中世地名。「祇園社家記録」応安四年(一三七一)一〇月七日条・八日条に「東条ノ八日市」、「クホ木」の「四日市」がみえ、東条谷の街道沿いに市場が開設されており、豊地(拾市)は十日市が開設されていたための地名だと思われる。文明一六年(一四八四)と推定される一二月一三日の依藤弥三郎感状(栗山文書)に「於今度国滝、親ニ候人生涯之砌、御内私宅ニ至、無為ニ取返在所豊地江退候、面々依供仕候無煩候、忠節無比類候、自豊地摂州神呪寺至付副候」とあり、栗山三郎左衛門に宛てられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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