北九州市
下関市と福岡県北九州市
「水路志」は「下之関海峡は内海の西門にして、長約七海里、潮流猛劇を極む、其可航水道の部分は、濶さ一鏈乃至七鏈、東西両口共に幾許の浅堆岩礁あり、而して東口は串崎と部埼との間にして、其濶二海里に亘るも、諸浅灘あるが為に水路は数条に分ち、中心を早鞆瀬戸と云ふ」と記す。
建徳二年(一三七一)一一月二九日
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
本州最西端と九州北端の間の狭い海峡。下関海峡(しものせきかいきょう)ともいう。瀬戸内海の西口にあたり、周防灘(すおうなだ)と響灘(ひびきなだ)とを結ぶ、西日本の海上交通上もっとも重要な水路となっている。最狭部は下関市壇之浦(だんのうら)と北九州市門司(もじ)の和布刈(めかり)との間で、早鞆ノ瀬戸(はやとものせと)という。幅約650メートル、水深20メートル、潮流最高8ノットで、大潮時には1.6メートルにも及ぶ水位差を生ずる。大陸および北九州と阪神とを結ぶ航路が集中し、航路上の難所として知られており、幅500メートル、水深15メートルとして整備されている海峡航路は強制水先区域となっている。この海峡の西口には、彦島(ひこしま)(面積9.8平方キロメートル)があって、その下関側は小瀬戸、門司側は大瀬戸に分かれるが、彦島の東の沖ノ洲一帯が1942年(昭和17)広大な埋立地に変わり、小瀬戸は下関漁港の入口となったので、大瀬戸がこの海峡の西口となっている。大瀬戸の海底部は42年に開通した山陽本線の鉄道トンネルが貫通している。一方、最狭部の早鞆ノ瀬戸の海底部にも関門国道トンネル(1958年開通)と新幹線の新関門トンネル(1975年開通)が貫通する。海峡をまたいでは中国自動車道と九州自動車道とを結ぶ自動車専用橋(6車線)の関門橋(1973年開通)が架かり、海底、海上、陸上(橋梁(きょうりょう))の三重の立体交通構造をもつのは世界でもほかに例がない。海峡を挟んで、港湾都市の下関と門司とが相対し、北九州工業地帯が展開している。関門海峡を大観するには、下関側の壇之浦からロープウェーで上る火の山公園が絶好の展望台で、夜の海峡を彩る「100万ドルの夜景」もすばらしい。
[三浦 肇]
本州西端の山口県下関市と九州北端の福岡県北九州市との間の海峡。下関海峡ともいい,古くは馬関海峡と呼ばれた。瀬戸内海の西口にあたり,内海側の周防(すおう)灘と外海側の響(ひびき)灘を結ぶ重要な水路となっている。東は部崎(へさき),満珠島付近から西は馬島,六連(むつれ)島付近までの約25kmの間の狭隘な水域で,国際航路が集中し,現在幅500m,水深12mの海峡航路が整備され,強制水先区域となっている。下関市の壇ノ浦と北九州市門司区の和布刈(めかり)の間の幅約700mの最狭部は早鞆(はやとも)ノ瀬戸として知られ,潮流は最高8ノットに達する。この海底部には関門国道トンネル(1958開通)と山陽新幹線の新関門トンネル(1975開通)が貫通しており,海峡をまたいで関門自動車道の関門橋(全長1068m,1973開通)も架かっている。海峡西口の彦島の南側は大瀬戸と呼ばれ,幅約1200m,潮流7ノットで,この海底部を山陽本線の関門鉄道トンネル(1942開通)が通っている。古くから西日本における海陸交通の要衝をなし,歴史上も源平の壇ノ浦の戦の舞台となり,幕末の馬関戦争の戦場となったことでも有名である。海峡をはさんで相対する下関と門司は古代・中世から海駅として栄え,現在も西日本屈指の港湾都市である。下関市の壇ノ浦からロープウェーで上る火ノ山公園からは,関門橋を眼下に見,さらに広く関門海峡を展望することができる。
執筆者:三浦 肇
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