豊躰村(読み)ぶたいむら

日本歴史地名大系 「豊躰村」の解説

豊躰村
ぶたいむら

[現在地名]伊奈村豊体ぶたい

新戸あらど村の南、小張おばり村より守谷もりや(現北相馬郡守谷町)へ通じる小道に沿う街村。村域は中通なかどおり川と川通かわどおり用水を越えて東西に延びる。近世新田村で、初めは豊躰新田と称する(新編常陸国誌)。「寛文朱印留」には豊躰村とあって下総佐倉藩大給松平氏領。「各村旧高簿」によれば明治元年(一八六八)には旗本勝田大五郎の知行地で村高七七八・三六石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む