日本歴史地名大系 「豊高庄」の解説 豊高庄とよたかのしよう 三重県:上野市上友生村豊高庄現上野市上友生(かみともの)・蓮池(はすいけ)一帯に比定される鎌倉時代の荘園。欠年の左馬允康兼没官寄進状(東大寺未成巻文書)に「尊勝院領豊高庄」とある。左馬允康兼は「伊賀国住人服部馬允康兼者今度騒動之時節、随京都使、仰関東御勢(下略)」(承久三年八月一九日付「関東下知状」東大寺文書)とあり、忠節を尽くしたため本領を安堵された服部馬允康兼と同人であろう。安嘉門院邦子内親王五七日曼荼羅供沙汰注文(「兼仲卿記」弘安六年一〇月九日条)に「豊高庄六貫」とある嘉門院領は、その後姪の暉子内親王(室町院)に伝領され、さらに永嘉門院に引継がれた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by