貞愛親王(読み)さだなるしんのう

精選版 日本国語大辞典 「貞愛親王」の意味・読み・例文・類語

さだなる‐しんのう‥シンワウ【貞愛親王】

  1. 伏見宮第二一代。元帥邦家(くにいえ)親王の第一四子。幼名は敦宮(たつのみや)陸軍士官学校卒。孝明天皇養子となり、のち伏見宮家相続西南戦争日清戦争日露戦争従軍。安政五~大正一二年(一八五八‐一九二三

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朝日日本歴史人物事典 「貞愛親王」の解説

貞愛親王

没年:大正12.2.4(1923)
生年:安政5.4.28(1858.6.9)
明治期の皇族軍人。伏見宮邦家親王の第14子。母は鷹司政煕の娘景子。明治5(1872)年伏見宮の家督を相続,同年フランス語研究のため大学南校へ。陸軍入りを志願し,陸軍幼年学校,陸軍士官学校に入学。西南戦争(1877)には自ら出征を懇願,3月征討参軍山県有朋に随行,4月征討総督本営付として熊本城に入城,以後第4旅団に属し鹿児島での戦闘に参加した。17年から高等戦術研究のため陸軍大学校へ通い,このころ英・独語および欧州各国の事情研究を行う。18年8月から1年間欧州各国を歴訪,うち約半年はベルリン大学で政治,憲法を研究した。日清戦争では歩兵第4旅団長として28年2月の威海衛占領に参加,8月には混成第4旅団長として台湾鎮圧に赴いた。日露戦争(1904~05)では,第1師団長として出征,第2軍の指揮下に入り,南山の戦いで勲功をあげた。37年6月陸軍大将となり,同師団は乃木希典大将率いる第3軍の指揮下に入ったが,旅順攻略に先立つ7月突如大本営付に転任の命を受け,失望。帰国後はセントルイス万国博覧会に参列のため米国に行き,翌年1月まで米国主要都市を訪問して交歓に努めた。39年にはガーター勲章答礼使として渡英。明治天皇の信任厚く,その名代としての任務も多く,明治天皇死去の際は大喪使総裁,大正天皇即位(1912)ののち約3年は内大臣府出仕として天皇を輔佐した。大正4(1915)年元帥。帝国在郷軍人会をはじめ大日本武徳会,大日本農会などの総裁も務めた。<参考文献>伏見宮家『貞愛親王事蹟』『貞愛親王逸話』

(田浦雅徳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「貞愛親王」の解説

貞愛親王 さだなるしんのう

伏見宮貞愛親王(ふしみのみや-さだなるしんのう)

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