財木銅山跡(読み)たからぎどうざんあと

日本歴史地名大系 「財木銅山跡」の解説

財木銅山跡
たからぎどうざんあと

[現在地名]椎葉村下福良 財木

財木の北方、財木山の北腹にある。那須なす銅山・宝木銅山・財来銅山とも記された。元禄年間(一六八八―一七〇四)に開坑され、宝永七年(一七一〇)に同山を見分した大坂泉屋手代の覚書(「年々諸用留」住友家文書)によれば、山師は庄屋権之丞で、敷内は東西二〇間余、四ヵ所の坑口より二八間下方へ掘って採鉱場に至るという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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