日本大百科全書(ニッポニカ) 「費長房」の意味・わかりやすい解説
費長房
ひちょうぼう
生没年不詳。中国、隋(ずい)代の仏教学者。成都(四川(しせん)省)の人。初め出家したが、後周(こうしゅう)の574年(建徳3)武帝が仏・道二教を廃絶するのにあい還俗(げんぞく)した。しかし隋が興るに及び、勅を受けて翻経学士(ほんきょうがくし)となり、大興善(だいこうぜん)寺の訳経場に入り、584年(開皇4)5月より翌585年10月まで那連提黎耶舎(なれんだいりやしゃ)の『大方等大集日蔵経(だいほうとうだいじゅうにちぞうきょう)』ならびに『力荘厳三昧経(りきしょうごんさんまいきょう)』の翻訳を助けて筆受した。また587年7月より595年9月まで闍那崛多(じゃなくった)(523―600)の『仏本行集経(ぶつほんぎょうじっきょう)』『善思童子経(ぜんしどうじきょう)』『移識経(いしききょう)』『観察諸法行経(かんさつしょほうぎょうきょう)』『商主天子所問経(しょうしゅてんししょもんきょう)』などの翻訳を助けた。597年12月、自ら『歴代三宝紀(れきだいさんぼうき)』15巻を撰(せん)して、漢代より当時に至るまでの訳経を収録し、これを朝廷に献上した。帝は勅を下してこれを天下に流通させた。
[丘山 新 2017年4月18日]