賀藤清右衛門(読み)かとう・せいえもん

朝日日本歴史人物事典 「賀藤清右衛門」の解説

賀藤清右衛門

没年:天保5.3.24(1834.5.2)
生年:明和5.2.19(1768.4.6)
江戸後期,秋田藩林政家。出羽国久保田城下(秋田市)に藩士賀藤八郎兵衛景親の嫡男として生まれる。諱は景林。文化2(1805)年38歳の時,御財用吟味役・木山方勤務兼帯となり,以来約30年間秋田藩林野行政に尽力した。木山方の権限を強化し,山守制度の改革,山林保護と植林奨励など林制の充実に努めた。なかでも能代海岸に植樹した76万本余の松は砂防林となって飛砂防止に役立った。嗣子景琴が木山方吟味役となって彼の事業を継承し,秋田林業の基礎がつくられた。『木山方以来覚』など著書多数。<参考文献>鈴木一郎『賀藤景林父子伝』

(渡辺英夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「賀藤清右衛門」の解説

賀藤清右衛門 かとう-せいえもん

1768-1834 江戸時代後期の武士
明和5年2月19日生まれ。出羽(でわ)久保田藩(秋田県)藩士。文化2年(1805)木山方吟味役となる。木山方の権限拡大など職制の改革をおこない,杉や松の植林を奨励して林政の基礎をきずいた。天保(てんぽう)5年3月24日死去。67歳。名は景林(かげしげ)。号は竹塢(ちくう)。著作に「木山方覚書」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「賀藤清右衛門」の解説

賀藤清右衛門 (かとうせいえもん)

生年月日:1768年2月19日
江戸時代後期の林政家
1834年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android