デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「赤埴安忠」の解説 赤埴安忠 あかばね-やすただ ?-1629 織豊-江戸時代前期の医師。大和(奈良県)宇陀(うだ)郡の土豪。松山城主福島高晴につかえる。のち辞して長崎で明(みん)(中国)の医師に金瘡(きんそう)(刀傷)の外科医術をまなび,赤埴流金瘡医の祖となる。寛永6年8月9日死去。通称は五右衛門。 赤埴安忠 あかはに-やすただ ⇒あかばね-やすただ 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例