赤松太庾(読み)あかまつ たいゆ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「赤松太庾」の解説

赤松太庾 あかまつ-たいゆ

1709-1767 江戸時代中期の儒者
宝永6年生まれ。赤松沙鴎(さおう)の子。はじめ父に,のち太宰(だざい)春台にまなぶ。130巻にもおよぶ論語,孝経などの注釈書「九経述」をあらわす。明和4年4月12日死去。59歳。江戸出身。名は弘。字(あざな)は毅甫。通称良平。号は大庾ともかき,別号赤草,述斎など。著作はほかに「赤草子」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android