儒教の経書(けいしょ)の一つ。孝道を論じたもの。孔子(こうし)(孔丘)が門人曽子(そうし)(曽参(そうしん))に語り聞かせた形態で記してあるが、戦国時代末期、曽子学派の著したものと考えられる。その内容は、個人の道徳も天下国家の政治も孝を根本とし、孝こそ人と宇宙を一貫する原理であると説き、家族共同体の規範の優越する古代中国の社会政治制度に理論的根拠を与えた。テキストは、前漢以来今文(きんぶん)(18章)と古文(22章)の2種が伝えられ、章の立て方は相違するが、古文に閨門(けいもん)章の1章20余字が多いほかは、大旨に変わりはない。通行する注釈には、今文系では唐(とう)の玄宗(げんそう)の『御注孝経』、宋(そう)の刑昺(けいへい)の『孝経正義』、古文系では宋の朱子(朱熹(しゅき))の『孝経刊誤』、元(げん)の董鼎(とうてい)の『孝経大義』などがある。
わが国への伝来は「十七条憲法」以前と推定され、「大宝令(たいほうりょう)」には大学の必修科目と定められている。江戸時代中期、中国本土ですでに失われていた『古文孝経』(前漢孔安国伝)と後漢の鄭玄(じょうげん)の注が校刊され、中国に逆輸入されるという快事もあった。
[廣常人世]
『林秀一著『孝経学論集』(1976・明治書院)』▽『林秀一著『孝経』(1979・明徳出版社・中国古典新書)』
孔子の弟子の曾子の作といい伝えられる儒家の古典のひとつ。《論語》とならんで五経につぐ地位があたえられた。孔子と曾子の対話の形式にかりて,天子から庶人にいたるまでの各階層それぞれの〈孝〉のありかたが説かれ,また〈孝〉の徳が〈天の経,地の義,民の行〉と天地人の三才をつらぬく原理として形而上化されている。〈孝〉は儒教倫理の中心であり,かつ《孝経》は短編でしかも《詩経》の引用を多くふくんでいて暗誦にたやすかったから,知識人家庭では《論語》とともに《孝経》を幼童の教育に用いた。歴代の王朝も《孝経》を重視した。漢代にはその読誦を天下に奨励し,唐の玄宗は今日ももっともひろく行われる注釈を書くとともに,744年(天宝3)には家ごとに一本を備えるよう命じた。同様の勅令は,日本でも757年(天平宝字1)に出されている。北魏時代には鮮卑語訳が,元代には蒙古語訳およびさまざまの口語訳,いわゆる〈孝経直解〉がつくられた。また六朝時代には,仏典の《観音経》になぞらえて,霊験あらたかな宗教経典として読誦されたことにも注目される。
→孝
執筆者:吉川 忠夫
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…礼のなかでも喪服(そうふく)の問題がとくにやかましくいわれ,郷党の指導者が〈父老〉の名でよばれ,天子が天下に孝の徳を教えるべく有徳の老人を〈三老・五更〉に選んで養老の礼を行い,夷狄の老人賤視の習俗が非文明とみなされたことなど,すべて広義の〈孝〉によって説明がつく。中国社会のさまざまの局面に浸透した〈孝〉をとくに強調したのは儒家であって,《孝経》は五経につぐ重要な地位を与えられた。《孝経》においては,天子から庶人にいたるまでの各階層それぞれの〈孝〉のありかたが説かれるとともに,〈孝〉は天地人の三才をつらぬく宇宙的原理にまで高められている。…
…開宗の精神は《立教十五論》に示されており,打坐を修行法とし,性命を鍛錬し,神気を和暢(わちよう)させることの重要性を説いている。王重陽はまた,信徒に《道徳経》《清静経》《般若心経》《孝経》を読むことを勧め,儒仏道三教の一致を説いた。彼は晩年の7年間,山東地方を中心にして布教活動を行い,七宝会,金蓮会,三光会,玉華会,平等会の5会を結成し,いずれも三教の名を冠した。…
※「孝経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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