朝日日本歴史人物事典 「赤松小三郎」の解説
赤松小三郎
生年:天保2.4.4(1831.5.15)
幕末の洋学者,兵法家。名は友裕。信州(長野県)上田藩士芦田勘兵衛の次男。18歳で江戸に出て蘭学を学び,帰藩後赤松弘の後嗣となる。安政2(1855)年再び江戸に遊学,勝海舟の塾で兵学を修得。次いで勝と長崎に赴き海軍伝習所で航海術を学ぶ。このころ英国兵書の翻訳を志し,慶応2(1866)年,『英国歩兵練法』の書名で出版,洋式兵法家として広くその名を知られるようになる。同年京都に出て家塾を開く一方,薩摩藩に招かれ同藩士に教授,薩摩を中心に多くの門人を得るに至る。藩命に接し上田への帰藩途上京都で暗殺された。その才が幕府側に利用されるのを惜しんだ薩摩藩士の仕業といわれる。人となり磊落不羈にして経綸の才があった。<参考文献>藤沢直枝編『赤松小三郎先生』
(犬塚孝明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報