赤留村(読み)あかるむら

日本歴史地名大系 「赤留村」の解説

赤留村
あかるむら

[現在地名]会津高田町赤留

東は高田村、北は八木沢やぎさわ村に接し、村内を銀山ぎんざん街道が通り、西の赤留峠を越えると端村中山なかのやまがあり、その西は軽井沢かるいざわ(現柳津町)近世は会津領から寛永二〇年(一六四三)以降南山御蔵入領で、永井野組に属した。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に上留とあり、高五〇五石余。文化一五年(一八一八)の南山御蔵入領組村高帳では高八七九石余。化政期の家数は本村九一・中山一三(新編会津風土記)。明治四年(一八七一)の家数一一八(寺二)・人数六一五(人員録)

灌漑用水確保のため寛永二〇年から慶安三年(一六五〇)までかけて滝野沢たきのさわ堤を築き、宝作ほうさく堤も利用した(新編会津風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む