起村(読み)おこしむら

日本歴史地名大系 「起村」の解説

起村
おこしむら

[現在地名]尾西市起

木曾川の東沿岸の村で、美濃路七ヵ宿の一宿であった。対岸は美濃国中島郡新井あらい村・やなぎ(現岐阜県羽島市)、南は冨田とみだ村、北は小信このぶ村に接する。元応二年(一三二〇)四月三日付で中島氏の跡職相続を示す中嶋承念譲状案(妙興寺文書)に「一所 興郷 荒野」とあり、この「興」が起村かおく(現一宮市)か明確ではないが、もし起村をさすとすれば文献に出てくる最初である。さらに天文五年(一五三六)開基と伝える村内の徳行とくぎよう(浄土真宗、聖徳寺末)にある阿弥陀如来画像の裏書に「天文五十一月 尾州中島郡新井にい郷東興 願主釈東光」とあって、ここでは東興ひがしおこしと記している。

天正一四年(一五八六)洪水によって起村と小信村の間を通って流れていたふる(萩原川・五城川ともいい、下流は日光川)と、現在の木曾川の位置を流れる川との二つの流れとなって、幾つかの村が川底に没したり、村を削られたりした。

慶長五年(一六〇〇)八月二二日関ヶ原の戦で家康軍の岐阜ぎふ城攻略の際、木曾川渡河軍の福島正則の一隊一万六千人が、萩原はぎわら渡から尾越おこし(一本に小越)の渡を越して竹鼻たけはな城を落して岐阜へ向かった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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