足川村(読み)あしかわむら

日本歴史地名大系 「足川村」の解説

足川村
あしかわむら

[現在地名]旭市足川

椎名内しいなうち村の西にある。蘆川とも。九十九里の海に面し地引網が盛んであった。天正一八年(一五九〇)木曾義昌領となり、慶長一八年(一六一三)の木曾氏旧領書上(岩井家文書)に足川村二七六石余とある。同五年幕府直轄領、同六年内藤清成領になったという。寛永二年(一六二五)知行宛行状に蘆川村とみえ、高四二九石余が旗本加々爪領。同四年の海上庄足川村検地水帳(姥山家文書)では高三八六石余。同一八年幕府領、元禄一一年(一六九八)御先鉄砲頭・御先弓頭の一〇人の組与力給知となり、この一〇人を御十人様と俗称した。以後与力給知で幕末に至る(旭市史)。同三年の村高四一八石六斗余の本途三八六石余で、浜高・野高が加わり、取米一三二石余・取永二貫五〇〇文。寛政七年(一七九五)の村高は天明五年(一七八五)と同じく高四七七石余で、年貢は本田畑取米一五一石余のほか新田・沼植新田(五町六反余)・新畑取米一〇石、林新畑(五町四反余)・野浜高・浜役などの取永五貫四〇七文。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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